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日蓮大聖人・池田大作

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足立会 報恩の信心、誓願の信心

1978.2.9 「広布第二章の指針」第12巻

前後
1  人材をつくることは、時間と労力がかかるものだ。人材をつくることが指導者の最大の任務といってよい。
 足立会の方々は、戸田前会長に直々に薫陶をうけた学会の宝である。
 われわれにとって人生の師である戸田前会長の生誕日を前にして、このように結成式ができたことは、まことにうれしい。これからの生涯を、恩師に最大に喜んでいただけるような、それぞれの明確なる人間革命の軌跡を残されるよう、祈ってやまない。
2  遅参その意を得ず
 競走でも、立ち遅れた場合は、その遅れを取り戻すことはたいへん難儀である。
 戸田前会長が、会長就任のとき、”遅参その意を得ず”で、立ち遅れた人々が”十年間損をしてしまった”とか、やれ”二十年間損をした”ということをよく語っていた。
 また、私の会長就任のときも、同じことを幾人かがいっていた。いままた、第二章の新支部結成にあたり、”遅参その意を得ず”で、互いに損をせぬよう留意していただきたい。
 大聖人の仏法は「現当二世」である。”現”とは現在、”当”とは未来である。
 われわれは、久遠の約束として、また久遠の使命をおびた同志として、広宣流布に、ご奉公しなければならない。したがって、立ち遅れては損をする。ともかく信心のことだけは、低次元の思惑や臆測にとらわれてはならない。それによって立ち遅れることは、自分自身の人生の損と心得べきである。
 足立会の方々は、今日まで、信心と広宣流布に、また人生の幸福という道に、その競走に立ち遅れることなく、見事に勝ってこられた。しかし、信心は一生貫くものである。
 したがって、現当二世の御本仏の戒めを深く体して、生涯、勝利の仏法走者であっていただきたい。
3  光ある人間革命の道を
 主義主張に生きぬいた人は、それなりに尊い。正法の信心に最後まで生きぬいた人は仏と成る。広布一筋に生きぬいた人は、永遠の栄誉をこうむることは、御書に照らし、経文に照らして問違いない。これ以上に尊い人生はない。
 そのことを確信すれば、その瞬間から、元品の法性顕れて梵天帝釈と成る。すなわち、現実社会に遊戯して恐るるものなく、人生を闊歩できるというのが、大聖人の教えである。御本尊の力である。
4  恩を知らない人は、非業の死を遂げると御書にある。華厳経にも「恩を知らざる者は多く横死に遭う」とあり、これをあげて大聖人は「不知恩の者は横死有と見えぬ・孝養の者は又横死有る可からず」といわれている。
 父母の恩、三宝の恩等ある恩のなかでも、もっとも根本のご恩は、無量無辺の功徳まします大御本尊であられる。
 その大御本尊を教えてくださり、信心の真実のあり方を指南してくださった戸田前会長に、万感の報恩の念をもつことは当然といってよい。人生の最高の大道を教示してくれた方であるからである。そして、なによりも報恩とは、弟子としての峻厳なそれぞれの使命、約束を達成することに尽きる。
5  事実ほど厳然たるものはない。事実に勝るものはない。「諸法実相」と、方便品にも説かれているとおりである。
 大御本尊様に、大功徳ましますのも、われわれは事実を通じて実感している。多くの不幸から、歓喜の家庭にかわったことも事実である。大聖人の仰せの、ことく、日本中を折伏逆化し、妙法の力とわれわれの努力によって、幾百万人の人が、信仰するようになったのも事実である。宗門に、正本堂をはじめ無量の御供養を申し上げたのも事実である。世界に広宣流布しているのも事実である。
 これは、私どもが、正法を正しく実践してきた証拠なのである。すなわち、日蓮大聖人のご本意に相叶った、厳然たる証拠と確信すべきである。
 皆さん方も、限られた一生で、よき事実をつくり、事実を残しゆく妙法の先覚者として、立派な人生の総仕上げをしていただきたい。
 事実を事実として認識しない人もいる。しかし大御本尊様が見とおしておられる。また、なんら実相、事実を建設できず自己の主張のみ美化して、批判のみする人もいる。それでは観念の遊戯者といってよい。事実をつくった人と、つくらぬ人では、その人生の深さに天地の違いがあるものだ。足立会のわが同志の方々のいちだんの活躍を祈りたい。一人ひとりの人間革命の、光り輝く歴史をつくっていただきたい。
 皆さまの各地域における見事な昇華を祈って、あいさつとさせていただく。

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