Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

狛江文化会館開館記念勤行会 成仏のための根本の法は御本尊

1978.2.4 「広布第二章の指針」第12巻

前後
5  支部活動の基本姿勢
 最後に、いま、各地で新支部の結成式が行われているが、まことにうれしい。支部結成にともない、新支部歌も作られているが、新しく支部歌を作詞、作曲するのがたいへんなところは、なにも無理してまで作る必要はない。場合によっては「新世紀の歌」など、学会歌を支部歌にして歌うのもよいだろう。
 みんなで楽しい意気投合の世界をつくるためにも、そのへんはすべてを価値的に、たんたんとおおらかな気持ちであっていただきたい。
 また支部の実情についても、なかには世帯数が少ないことにこだわる人もいるが、それはたいへんな間違いである。大きい支部のなかで泳いでいるような存在であっては成長はない。支部は小さくとも、自分たちの力で建設していくところに喜びがあるのだ。
 それは十二支部で出発した学会の草創期の活動をみても、いかに小人数の組織から偉大な力を発揮してきたかがわかるであろう。
 いまここに参考として、昭和二十六年五月、戸田前会長の会長推戴式における署名簿の人数をみると、次のようになっている。
 小岩支部=六一九人、蒲田支部=五七三人、足立支部=五四九人、鶴見支部=四六八人、杉並支部=二四一人、築地支部=二〇五人、中野支部=一四〇人、文京支部=一三四人、志木支部=百数十人、城東支部=六二人、本郷支部=五五人、向島支部=三四人であった。
 これから、当時の支部の世帯数がどれほどであったか、ほぼ見当がつくであろう。
 また青年部では、昭和二十六年七月の結成時における四部の陣容をみると――第一部=七五人、第二部=約六〇人、第三部=約五〇人、第四部=一〇五人であった。
 これだけの布陣で、今日の偉大なる学会の大河の時代が、また大青年部が築かれてきたのである。小さいからといって嘆くことなく、むしろ最大の誇りとして、明るく仲よく、精鋭主義で前進されたい。皆さん方のご健康と無事安穏なる日々を心よりお祈り申し上げて、本日の指導としたい、

1
5