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日蓮大聖人・池田大作

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狛江文化会館開館記念勤行会 成仏のための根本の法は御本尊

1978.2.4 「広布第二章の指針」第12巻

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2  「法」とは、梵語で達磨の訳。その意味は「自性を保持して不変」との意義である。御義口伝には「法とは諸法なり」とあり、諸法とはあらゆる現象の意味である。
 「法」という言葉は、さんずいに去ると書く。水が流れ去るように、とどまらないという意味になろうか。つまり、変化がある。しかも、その変化のなかに不変の力がある。その変化せしめる本体の力を「南無妙法蓮華経」というのである。
 この根本法によって、あらゆる衆生、あらゆる人類が成仏できる。この南無妙法蓮華経という根本の法を、久遠劫初において開悟し、末法の衆生のために一幅の御本尊としてお残しくださった御本仏日蓮大聖人に、われわれは甚深の報恩感謝の日々を送るべきである。
3  御書に「利根と通力とにはよるべからず」とある。
 大聖人の仏法は、信心の二字につきる。実践につきる。才知にすぐれ有名大学出身といっても、信心がなければ仏にはなれない。平凡な一主婦であっても、信心があれば仏になれる。信心も狂い、保身のために我見の才知を働かせるのは、謗法であり、恐ろしいことである。
 「如来秘密神通之力」とは、御本尊の功力のことである。「如来」とは、末法の御本仏たる大聖人のことであり、「秘密」とは、大御本尊のことである。「神通之力」とは、御本尊の偉大な功力をいうのである。すなわち、凡夫を即身成仏させる力が「神通之力」である。
 これ以外のいわゆる邪宗教でよくいわれる通力は、一切用いてはならないというのが大聖人の教えなのである。それらの通力では、人間を幸福にできないからである。
 法力、仏力の御本尊に、信力、行力をもって境智冥合していくのが、私たちの信心のあり方なのである。
4  嫌悪の感情と怨嫉のちがい
 私たち人間には、それぞれ好きな人、嫌いな人がいる。組織内でもあるだろう。理想的には仏法兄弟として、それぞれの個性に応じて、理解と寛容と励ましあいがあってほしい。
 「法に依って人に依らざれ」との言葉がある。「法」とは御本尊である。御本尊を信じ、御本尊のために働くのが私たちである。しかし、互いに人間である。嫌いな幹部もいるかもしれない。いやな人もいるかもしれない。それを好きになれといっても、無理な場合もあるだろう。嫌いでもいいと思う。
 好き、嫌いと怨嫉とは違う。嫌いだから信心の話も聞かず、信心のためのいっしょの行動もしないというのが怨嫉である。「開目抄」には「障り未だ除かざる者を怨と為し聞くことを喜ばざる者を嫉と名く」と妙楽の文を引かれている。
 飛行機に乗っても、機長とパーサーとスチュワーデスが、互いに嫌いであったとしても、運航するという目的は果たせるであろう。個人の感情は自由である。
 われわれは、嫌いな人たちのために行動するのではない。御本尊のための行動をするのである。たとえ嫌いであったとしても、ともに行動するとき、かえって自分の人格をみがくこともある。善知識の人となる場合もある。信心の心を開いて、自分自身の信心の向上のための善知識ととるか、悪知識ととるかを、深くわきまえていただきたい。どちらかが、秀でた人間革命をしていくことである。
 その点幹部は、人と人との関連性をこまやかに配慮しながら、気持ちのよい仏道修行と広布への活動をせしむるようにすべきである。各階層の人々がおりなしている和合僧の組織をいかに調和せしむるかが、指導者の指導者たる力用といってよい。
 一人も退転しないようにするのが、われわれの任務である。しかし、多数のなかにはさまざまな人がいる。一部の勝手気ままな人のために、多数の人に迷惑をかけることは断じて防がなければならない。学会から去りたい人には、自然にすべきときがある。それは、本人の自由意思だ。あまり深入りして、かえって正常な和合僧を複雑にしてしまうことは愚である。
 われわれの親切と信心がわからない人には、そっとしておくなり、つっぱねるなりすることが必要な場合もあると思う。やがて仏法の力で、その人たちもかならず戻ってくるであろうし、反省するときがあるにちがいないからだ。
 この狛江文化会館の隣にも、私どもが御供養申し上げた正宗の寺院ができあがり、近に落慶入仏式が行われる予定である。どうか、広宣流布のために、僧俗和合して、範的な仏国土の建設をお願いしたい。
5  支部活動の基本姿勢
 最後に、いま、各地で新支部の結成式が行われているが、まことにうれしい。支部結成にともない、新支部歌も作られているが、新しく支部歌を作詞、作曲するのがたいへんなところは、なにも無理してまで作る必要はない。場合によっては「新世紀の歌」など、学会歌を支部歌にして歌うのもよいだろう。
 みんなで楽しい意気投合の世界をつくるためにも、そのへんはすべてを価値的に、たんたんとおおらかな気持ちであっていただきたい。
 また支部の実情についても、なかには世帯数が少ないことにこだわる人もいるが、それはたいへんな間違いである。大きい支部のなかで泳いでいるような存在であっては成長はない。支部は小さくとも、自分たちの力で建設していくところに喜びがあるのだ。
 それは十二支部で出発した学会の草創期の活動をみても、いかに小人数の組織から偉大な力を発揮してきたかがわかるであろう。
 いまここに参考として、昭和二十六年五月、戸田前会長の会長推戴式における署名簿の人数をみると、次のようになっている。
 小岩支部=六一九人、蒲田支部=五七三人、足立支部=五四九人、鶴見支部=四六八人、杉並支部=二四一人、築地支部=二〇五人、中野支部=一四〇人、文京支部=一三四人、志木支部=百数十人、城東支部=六二人、本郷支部=五五人、向島支部=三四人であった。
 これから、当時の支部の世帯数がどれほどであったか、ほぼ見当がつくであろう。
 また青年部では、昭和二十六年七月の結成時における四部の陣容をみると――第一部=七五人、第二部=約六〇人、第三部=約五〇人、第四部=一〇五人であった。
 これだけの布陣で、今日の偉大なる学会の大河の時代が、また大青年部が築かれてきたのである。小さいからといって嘆くことなく、むしろ最大の誇りとして、明るく仲よく、精鋭主義で前進されたい。皆さん方のご健康と無事安穏なる日々を心よりお祈り申し上げて、本日の指導としたい、

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