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日蓮大聖人・池田大作

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東京外語大・東京教育大・筑波大合同大学… 信心根本に社会で飛翔

1978.1.29 「広布第二章の指針」第12巻

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2  諸君のなかには、これから結婚する人もいるだろう。その諸君たちがいま、いかに勉学に励み、努力したとしても全世界の哲学をひもとくわけにはいかない。そこにおのずから限界というものがある。
 またわれわれは、悩み多き凡夫である。いかに夫婦の間に愛情があったとしても、厳しい運命、宿命には勝てない場合もある。いくら二人が信頼しあっていても、いつかはなれあいを生み、いわゆる人間としての進歩がなくなっている場合がある。
 そこで、無上宝聚・不求自得の仏法究極の当体たる御本尊を受持したということが重大な意義をもってくる。この絶対にして最高唯一の御本尊に向かって、ともどもに南無しながら、現実の人生のなかに励ましあいがあったときに、はじめて運命の打開もなされ、愛情も、理解も生かされ、進歩も成長もあるということを強く銘記されたい。
3  大学会の存在意義
 今日において大学それじたい、社会にあっては大きい影響力をもつ存在である。その大学で妙法を信受した有志が、少数精鋭で大学会を結成したことは、これまた漸次、社会変革即化儀の広宣流布への強力な発条となっていくことは、火をみるよりも明らかである。諸君らはその戦士であっていただきたい。
 こうした意義において大学会は、広布の次代の指導者養成機関と位置づけられるであろう。
4  青年時代に結びあった友人のつながりは強い。善につけ悪につけ、有形、無形にかかわらず、そのつながりは大なる綱となる。いわんや仏法の信仰の絆で結びあった学友のつながりは、年ごとに強く太く輝いていくものだ。それは、諸君たちの先輩の姿と行動と、盟友の絆をみれば明瞭といってよい。
 人間としての成長は、先輩に絶対につかなければならない。これはすべてのことに共通するが、とくに信心は、人生の根本の問題であるからだ。
 「自解仏乗」という言葉があるが、これはあくまでも日蓮大聖人のことであられる。われわれ凡夫は、仏の教えを信ずることが悟りであり「以信代慧」である。したがって「持つは難し」の、正しい持ち方、信行学の深い開拓のあり方は、法友の先輩につく以外に絶対にないのである。私もよき先輩についたから今日がある。
5  指導者の要件
 指導者の要件は、まず確固たる確信をもつことである。けっして威張らぬことである。つねに人の意見を尊重していくことである。とともに、決断が必要なときは決断する勇気が必要だ。自分の信条と主張は、堂々と明快に示すべきである。そしてみずからも、より以上向上せんがための求道する姿勢でなければならない。
 さらに、なにごとにも臆さぬことである。それでいて、つねに余裕をもつことを忘れず、人よりも努力していくことである。ともかく、なにごとに対しても責任感が強いということも、指導者たる者の重要な要件といってよい。
 また、それとともに、民衆の指導者となるためには、自身の胸中の窓を開ききって、人々を心から安心させていく人間的魅力が必要である。
6  次に心がけていくべきことは、いま、即座には役に立たないことであっても、なおざりにしないことだ。学問もそうであるし、労苦もそうである。いますぐには自分の幸福にはつながらないかもしれないが、これを大切にすることが未来の大成のために必要である。信心もまた同じである。仏道修行即学会活動も同じである。花でも木でも、種をまいておかなければ、時が来ても、薫発し成果をみせることはない。
 人生の勝利、なかんずく自分自身の満足の凱歌というものは、自分自身の”心の財”のなかにあることを確信されたい。つらくても、苦しくとも、それは社会の制度のせいでもなく、人々の無理解のためでもなく、一家一族の罪でもない。
7  ユーモアのない人生は、庭に花がないように寂しいものだ。しかし、ユーモアとふざけとはちがう。ふざけていく人生は、やがては信用されなくなる。日蓮正宗創価学会は、福運と成仏と生きがいの安全地帯であると申し上げておきたい。
8  男性は、つねに主体者でありたいものだ。信心の世界にあっては、いちおう、組織はあるが、まことの信心に目覚めた人は、もはや主体者なのである。
 ソクラテスが「汝自身を知れ」といったが、信心のある人生は自分自身を知り、「桜梅桃李」の法理のごとく、人それぞれの個性をそのまま生かしきった活動に入っているのである。
9  学者であるからといっても幸せとはいえない。社会的地位があるからといっても幸せとはいえない。幸せそうにみえるのは、社会的差別観のうえから、人々に幸せにみえるというだけのものである。
 仏法は、外観の虚像を突き破って、内面的な仏界という確固不動の実像を取り出し、そこから、社会へと放射し、昇華させゆく法理といってよい。この幸福観の次元を間違えては、人間の実相観が狂ってくる。
 諸君は、大切な未来のための人材であり、仏子である。社会で飛翔し、活躍する機会はこれからであり、人生は長い。ゆえに、途中の感情や少しぐらいの行き詰まりで、自分の飛翔を止めてしまってはならない。自重しながら、色心ともに健全にみがいていただきたい。
10  会長に激務があるのは当然の務めである。いかなる中傷、批判も、正法と会員を守るためには当然のことといってよい。死を覚悟した者でなければ、学会の会長はつとまらない。あとは、諸君が代々の会長を乗り越えて、仏法の永遠の凱歌を打ち立てていただきたい。

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