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日蓮大聖人・池田大作

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第20回1月度本部幹部会 正法のもと平等の人間組織に

1978.1.21 「広布第二章の指針」第12巻

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1  実相山四国研修道場において、四国の法友千数百人が、かくも意気軒昂に集い、明るく健康的な一月度の本部幹部会が開催できたことを、心より喜びあいたい。
 キリスト教をはじめ、いわゆる大宗教といわれる教団が、今日、時代の変遷とともにその宗教本来の使命を忘れ、その活力を失ってしまった原因は何か。
 それは、さまざまな角度から論ずることができるが、根本的には、民衆から離れてしまったことにある。つまり上下の関係が強く意識過剰になって、宗教的権威に名をかりて、民衆を下に見下すようになってしまったことである。
 正宗、学会が、未曾有の発展を成し遂げた理由の一つは、組織がある以上、いちおうは上下の関係があるが、その根底には、一人ひとりが妙法に直結した、いわゆる横隊の方式で前進してきたからである。
 われわれは、御本尊を絶対唯一として、ぜんぶ平等である。
 したがって、たんなる上下の関係で成仏が決まったり、功徳が決まるのではない。あくまで御本尊即妙法に対する個々の直結によって、功徳も無量に積んでいかれるという意識、信心の厚薄によってすべてが決まるという意識をもつことが大事なのである。
 いかなる組織もそうであるが、いわんや一生成仏、広宣流布を目的とする和合僧の組織においては、当然の理として”要”がもっとも大切となってくる。
 いかなる社会の組織であれ、機構であれ、”要”がなければ、烏合の衆となってしまうし、その目的は達成できない。異体を同心とせよと、大聖人は仰せであるがゆえに、その人間群の秩序と団結のために、組織が必要となってくるわけである。そして、その組織には、当然”要”が必要となり、その”要”にあたるのが、それぞれの”長”なのである。
 今回新発足になり、任命になった支部長、婦人部長も、その重要な”要”となっていただきたい。小さくはB長、大B長もまた重要な”要”である。大きくは本部長、県長、方面長等も重要な”要”である。私もまた一つの”要”である。
2  公平で心温かな指導者たれ
 新支部の一段階の目標として、一支部五百人をめざしてはどうか。そして次の目標を七百人とし、やがて千人ぐらい集まるようになれば、最大に理想的な支部となるであろう。地方等で、かならずしも人数をバロメーターにはできない場合もあろう。そういうところでは、支部員の功徳の実証で勝負すればよいだろう。ともあれ、なにものにもましてその支部員の一人ひとりを大切に、功徳に満ちゆく人材にみがきあげていくよう祈ってやまない。
 学会も時代とともに、さらに多魚的、重層的な前進をしていかなくてはならない。支部制の発足により、いちだんと新たな広宣流布への大きなリズムができあがっていくであろう。
 しかし、いかに活動が多次元になろうとも、基本をおろそかにしてはならない。われわれにとっての絶対の基本とは勤行である。そして、一人の人を折伏する、一人の人を指導する、一人の人を一人前の人材に育てるまで世話をする、それが一切の仏道実践の根本であるといってよい。
3  幹部は華やかな会合で講義する場合もあるだろう。これも多数の法友の信心向上のために必要なことはいうまでもない。
 しかし、一人ひとりの同志を、心より尊敬し、大切にし、理解し、守り、賛嘆し、自分以上に成長させていく地道な戦いが、幹部のもっとも重要な課題であることを夢寐にも忘れてはならない。
 そこに一切の、権威とか、上下という封建的、官僚的、形式的な惰性を脱皮していけるただ一つの道理があり、大正法を令法久住せしめていくための絶対不可欠の法則がある。
 人の報告は、うのみにしてはならない。よく咀嚼し、確かめ・分析してから判断しなければならない。
 歴史上においても、中心者が愚かな場合には、みな偏見の者が、自分の保守のために善人を陥れよう讒言する場合が多い。阿諛諂佞をまにうけて撹乱させて事件を大きくする人もいたことは事実である。そういうことはたいへん恐ろしいことであるが、内外を問わずかならずあるものである。
 どうか、このような心象をも鋭く見極めゆく、公平にして厳正、心あたたかな指導者であっていただきたいことを重ねてお願いして、本日の指導としたい。

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