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松山支部結成18周年記念勤行会 ”信ずる者は必ず栄う”を確信

1978.1.18 「広布第二章の指針」第12巻

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2  湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く、強盛な信心をせよと、御書では説かれている。
 不況の時代に入っているが、いかなる苦境のなかにあっても、この強い信心、行動で、わが胸中の肉団におわします妙法をおおいに湧現させながら、生活のうえに、職場のうえに、地域のうえに、確たる実証を示しゆく戦いを展開されたい。
 妙法を信ずる者は、かならず栄えるのである。幾多の体験がそれを立証している。そうでなければ妙法とはいえない。
3  「一切の法は皆是仏法なり」と大聖人は仰せである。
 ゆえに、仏法を信じ行じて得た功徳を世間に開くためにも、信心を根本に、各分野において人一倍の研究、努力を重ね、信用、信頼、人間関係等々、多角的に人間鍛練を進めながらの生活でなければ、社会で勝つことはできない。
 この意味から、時と場合によっては、信心即事業を第一義として、会合等は従としても結構である。それは信心は一生のものであるからだ。
 ともかく、信心しているからなんとかなるだろう、という安易な気持ちは「秘とはきびしきなり三千羅列なり」と、峻厳なる因果の理法を説かれた大聖人の御指南に反する。商売をおろそかにすることは、極言すれば、謗法となってしまう場合さえある。
4  五座三座の勤行は、信心の絶対に不可欠の基本である。ただし、仕事等の関係上、早朝に家を出る場合、夜遅く帰る場合があるだろう。熱をだして体の不調な場合もあるだろう。また出張や旅行等の場合もあるだろう。そのような場合、みずからの信心は信心として、ともかく水の信心を基調としながら、臨機応変に行ってもさしつかえない。一生の信心である。窮屈な思いをするための信心ではなく、洋々たる人生を開いていくための信心であるからだ。
 人というのは、感情の動物といってよい。あくまでも法が根本であるが「法自ら弘まらず」で、人が大切となってくる。
 だれがみても感じのよい人、誠実な人、人格高邁の人、そしてあたたかい人等には、人はついてくるし、折伏がすすみ、広布の道を大きく開いていける。一般的にも、感じの悪い人、不親切な人、醜い根性の人等には、人はついてこない。そういう態度の人は、人々を法のもとに導き、法を弘めるどころか、正法に背を向けさせてしまうことが多い。
 すべての社会に善人、悪人がいるごとく、和合僧のなかにも醜い利己によって和合僧を破る者がいるだろう。信心の世界といっても、純粋なる広宣流布のこと以外については、利用されないよう十分に注意されたい。そうした悪は鋭く見ぬいて、純粋な信心を、純粋な組織を、そして家庭を聡明に守っていただきたい。
5  十年、二十年を目標に
 信心の一里塚は、まず十年と思っていただきたい。次に二十年。そうすれば、若木が知らずしらずのうちにしぜんに大木になるごとく、また幼児がしぜんのうちに成人するがごとく、仏種が熟して、わが生命の仏界が大きく蒸発されながら、いわゆる仏法即所願満足の総仕上げの人生が、厳然たる実相として顕現されることは間違いない。
 それを確信して、勇みに勇んで、人生、生活の源泉力を回転させて進んでいただきたい。
 愛媛の大切な皆さん方が、一人も残らず常楽我浄の人生、生活を満喫していくよう、心深くご祈念申し上げ、本日の指導としたい。

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