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日蓮大聖人・池田大作

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愛媛県幹部会 潔い信心で常識の人生歩め

1978.1.17 「広布第二章の指針」第12巻

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1  皆さん自身のために、また大勢の方々のために、皆さん方の力でできあがった、陽光山愛媛文化会館で、このように晴れがましく、御本尊に読経、唱題しながら、広宣流布に邁進する雄々しき仏弟子のお姿を拝し、日本の平和のため、安泰のため、文化の向上のため、なによりも尊くめでたいことと感慨無量である。
2  自分の人生の目的をもった人は強い。信念のある人は強い。まことの友人をもった人は強い。
 すなわち、成仏という目的、広くは広宣流布という高遭なる目的、そしていかなる艱難をも乗り越えていける仏法を持った信念、また信じられる同志をもち、仏法兄弟として励ましあい、信仰の勇者として激励しあって、正々堂々たる人生を闊歩できることは、最高、最大の人生と銘記されたい。
 愛媛県創価学会は、一人も残らず教学部員になっていただきたいし、一人も残らず聖教新聞を読んで間違いのない信心の大道を歩んでほしい。そして、一人も残らず功徳の家に、一人も残らず無事故で、一人も残らず広宣流布の人材になってほしい。この”一人も残らず”を合言葉として前進されたい。
3  地涌の菩薩の真の意義
 妙法を受持した人は、一人も残らず地涌の菩薩である。
 「地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」と「諸法実相抄」に大聖人の仰せられているのがなによりの証拠である。
 地涌の菩薩というのは、商人は商人らしく、サラリーマンはサラリーマンとして、漁師は漁師として、主婦は主婦として、学生は学生というその立場で、法性の淵底から湧きいでて、この本有の地域に妙法を弘めることを使命としている人である。
 この使命を貫いた人は、多少の難はあっても、永遠の幸福は約束されている。不幸のまま終わるわけはない。
 皆さん方は、日蓮大聖人の眷属として、全人類、民衆のなかで選ばれて、妙法を根本として、日本、世界を楽土にしょうと、みずから願って出現した方々である。それが、地涌の菩薩の根本の使命であり、目的なのである。
 その目的に生きぬいたときに、また目的を達成するために、諸天善神ならびに三世十方の諸仏が、色心ともにその生活を守ることは経文に照らして明白である。
 地涌の菩薩は、命令されて動くのではない。あくまでも自発性をもち、能動的に、広宣流布を自覚し、行動していくところに、はじめて地涌の意義がある。そこにこそ、鮮明なる妙法の偉大な力を得ることができるのである。
4  先日、ある宗教学者がこのように語っていた。
 「既成宗教ならびに新興宗教をあわせて、教団の数は何万とあるが、ほんとうの意味で社会に影響を及ぼしているものはない。それに対して日蓮正宗創価学会は、まことに日蓮大聖人の仏法の精神を体して、そのまま立正安国に向かっている。生活に密着している。社会に貢献している。ゆえにさまざまな角度から、憶測の批判がなされるのである。むしろそれこそ、まさしく生きた教団であることの証明であろう」と。
5  「松野殿御返事」には、十四誹誇が説かれている。御本尊を受持したとしても、もつとも厳戒しなければならないのは、最後の軽善・憎善・嫉善・恨善である。
 さまざまな謗法も当然戒めなければねらないが、それ以上に、御本尊受持の人を憎んだり、軽蔑したり、恨んだり、嫉妬した場合には、功徳を消すのみならず、堕地獄であるというのが、大聖人の御聖訓なのである。
 したがって、御本尊受持の法友は、この御書を身に体していかなければ、いくら正法正義とロではいっても、心は大聖人のお心に反し、仏法に弓を引いていることになってしまう。
 われわれは平凡でいい。常識的な人生でよい。背伸びする必要はない。ただひとすじに、日蓮大聖人即御本尊に対し奉り、潔い信心と折伏と正しい生活のリズムを歩んでゆけば、もはやそれ自体が人間としての最高の位であり、成仏の直道を歩んでいるのである。どうか、そのことを深く自覚されたい。
6  教学試験に落ちて残念がっている人もあろうが、御本尊に南無しゆけば大功徳があることは、教学試験の合否にはかかわりないことを確信されたい。さらにいえば、学歴がなくても信心があれば成仏は間違いないし、過去にいかなる罪業がある人であったとしても、すべて救われるのである。
 しょせん、ひたすらに題目をあげきり、素直な求道者であることが、ただただ肝要である。
7  人間は、それぞれ、個々の宿命を背負っているといってよい。しかし、その宿命に泣き、流され、いかにもがいてもどうしようもなく、そのままあきらめてしまう人生もまた多い。
 自動車は止まっていれば、だれが押しても重いし、動かない。しかし、エンジンをかけて動かせば、たやすく右にも左にも走っていけるのである。と同じく、信心のエンジンを回転させれば、過去世よりの罪業的宿命も、しだいに自己の欲する宿命転換への幸せの道へ走り行くことができることを確信してほしい。
 皆さん方の健康ならびにいちだんの健闘を心よりお祈り申し上げ、本日の指導としたい。

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