Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

築地会 不惜身命の信心を忘るな

1978.1.12 「広布第二章の指針」第12巻

前後
1  築地会の方々は、戸田前会長に薫陶をうけた、はえぬきの戸田門下生である。学会再建当時にあって、蒲田、小岩、杉並に続いて、多大な活躍をし功績を残した、たいへんな福運をもった重要な人といってよい。
 多くの後輩を訓育し成長させるのが、前会長の薫陶をうけた戸田門下生の私どもの最大の任務であることを自覚されたい。広宣流布は、正法と信心の流れを間断なく後世に流し、拡大していく作業であるからである。
 戸田前会長の鍛練はまことに峻厳であった。それは、仏法が峻厳であるがゆえで、広布の指導者を育てるには、当然また峻厳になることが道理であるからだ。その峻厳さのなかに慈悲がある。
 ゆえに私もかわいい大切な後輩に対しては、次代の広宣流布を託すために、ときには峻厳な指導をしなければならないこともある。
 たまにその訓練、指導を誤解して、感情や誘惑に負け、仏道修行から離れ、かえって非難中傷する人がいることも、やむをえないこととご理解願いたい。とともに、仏法の”毒鼓の縁”として、また因果の理法により、やがてかならず妙法のもとにかえることを確信して、寛大に進んでいきたいものである。
 ともかく、学会は、正法を信じ、正法を行じ、正法を弘める団体である。私たちのつながりは、利害のつながりでもない。世法のつながりでもない。名誉栄達を目的とするものでもない。あくまでも信心のつながりであり、各人の成仏と広宣流布を実現する仏道修行のつながりであることを忘れてはならない。
 私どもの生きぬく道は、御書のとおり、また経文のとおり「不惜身命」であらねばならない。また「身軽法重」であり「而強毒之」である。また「即身成仏」であり「広宣流布」であるとの規範を徹底して自覚し、使命として振る舞っていくのである。
 この生命の深奥に迫る信心という次元は、世間的な浅い考え方では正しくとらえられない場合もあろう。したがって、中傷非難をうける場合も広布の途上においては多々あることをご了承願いたい。
2  信心というものは、止まってはならない。「月月・日日につより給へ」という御聖訓がある。それは、止まらずに進んだときに、真実の人生の充実度とともに、真如の都がみえるからである。
 われわれは仏子である。日蓮大聖人の弟子である。御本仏の御指南のままに生き、戦い、死んでいくところに、三世永遠にわたる無量の誇りと無量の功徳と無量の生きがいを感得していけるのであり、ここに、もっとも重要な一点の黄金の大道があることを忘れてはならない。
 世界の広布という大理想からすれば、私どもはまさにその草創の同志である。この草創の決意で生涯戦い、開いていったときに、はじめて七つの鐘が響きわたることを忘れてはならない。建物においても土台は人目にふれるものではない。草創のわれらは土台石である。目立たないけれども、私どもの地道な、堅固な活動があってこそ、わが国ならびに世界への広宣流布の総仕上げの波動がなされていくのである。
 おのれには厳しく、後輩にはあくまでもあたたかく包容して、その成長を願い祈っていける大先輩であっていただきたいことをお願いしたい。
 最後に、副会長室会議で決定していただいたことであるが、学会再建当時、戸田前会長とともに広範な活動を展開した十二支部を、この「築地会」の結成と同様に、「鶴見会」「本郷会」等々と今後、順次結成し、記念の会合を開催していくことになったことをご報告申し上げ、本日の指導としたい。

1
1