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日蓮大聖人・池田大作

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第3回創友会総会 功徳の火を生涯消すな

1978.1.9 「広布第二章の指針」第12巻

前後
1  御書には「須弥山に近づく鳥は金色となるなり」とある。
 須弥山とは、古代インドの世界観で世界の中心にあるとされた山である。日蓮大聖人は、この須弥山に近づく鳥は金色となる、との故事を引かれ、仏法の偉大なる福運の極理を説かれたわけである。
 この一つの故事を、信心のうえから論ずるならば、当然、大御本尊ましますところである。すなわち総本山であるとともに、開いていえば、各人の家々にまします御本尊の御前といってよい。いつ、いかなるときでも、御本尊に唱題していくことが「須弥山に近づく」ことである。
 広宣流布に活躍する私どもが、仏法を学び、語りあう学会の会合にいそいそと参加しゆく姿もまた、同じとはいえまいか。ゆえに私たちは、いつも須弥山に近づこうとする強い求道心と信心の姿勢があるところに、成仏もあるということを、けっして忘れてはならない。
2  皆さん方は若くして、成仏という無量の功徳を積む一点の火を胸中に点火したのである。その功徳の火を、生涯にわたって絶対に消してはならない。年ごとに、その火が燃えさかり、功徳を増しゆく強い信心であってもらいたい。意気地のない信心のところに、成仏はありえない。
 女性の幸福と人生の勝利を確定するのは、よく四十代といわれるが、そのときのためにも、いまは盤石な信行に励むべきである。
 具体的には、功徳の点火をしたみずからの信念と確信に満ちみちた信仰の話を、信心の同志に、地域の人々に、そしてわが子に、正しく伝えゆける妙法の”語部”になっていただきたい。
 ともかく婦人部の次代は、一切が皆さん方のものである。しかし、人材というものは、一年や二年でできあがるものではない。その点、みなさん方は、十代、二十代のときから今日まで訓練をうけてきた学会の宝であり、広宣流布の人材の宝である。どういう立場にあっても自信をもち、勇気をもって励んでいただきたい。
3  仏法は因果の理法を説いている。したがって、日蓮大聖人の大正法を信受し弘める人を誹謗することは、厳しい因果の理法によって、その結果もおのずから明瞭であろう。
 正法をたもつ人には、どこまでも最大の尊敬を払って接していくべきである。経文にも「当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし」とあることを、よくよく銘記していきたいものである。
4  御書を拝すると、各所に、初信者は縁に紛動されやすいことが説かれている。初信者にかぎらず、いくら永年にわたる信仰歴があったとしても、縁に紛動されやすいのが人間、凡夫のつねである。
 世間的事象の動向によって動かされるのではなく、九識心王真如の都という、仏界の生命を開く信心を根本として、社会の一切の事象をみおろしていくのが、まことの信心の極理なのである。
 したがって、たとえいかなる世間からの迫害をうけたとしても、また厳しい状態にみえたとしても、信心によって、そうした状況をいかに乗り越えていくかというなかにこそ、ほんとうの信心があらわれていくのである。
 どうか、偉大なる信心は安易なところではなく、むしろ苦難に立ち向かっていくところにこそ、その成長があることを忘れないでいただきたい。
5  皆さんは、学会がたいへんなときに馳せ参じ、学会をささえてくださった尊い方々である。そのご苦労に、私は感謝の念でいっぱいである。皆さん方は、いうなれば学会の”長女”の存在と自覚されたい。
 副会長室でも決定していただいたことであるが、本日の総会を記念して、広布の法戦に活躍してこられた創友会の皆さん方の名前を銘板に刻み、現在建設中の創価婦人会館に永久に残すことになったことを、ここに正式に報告しておきたい。
 最後に、本日参集の皆さん方も、そして全国の創友会の皆さんも、一人も残らず、家庭を大切にしながら、またわが子を立派に育てながら、広宣流布の指導者になっていただきたいことを心より願望して、本日のあいさつとしたい。

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