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日蓮大聖人・池田大作

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第10回教学部大会 「学」は「信行」の推進力に

1978.1.8 「広布第二章の指針」第12巻

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1  教学は、信心を深め、広宣流布を推進するためにある。すなわち、折伏する源泉力を豊かにするためであり、立派な指導者としての力を掴養するために励むのである。けっして自分自身の栄誉栄達のために教学があるのではない。
 御書は、日蓮大聖人の経文であられる。ゆえに、御本仏の教えに南無する純粋な信心で、一言一句を拝読していかなければならない。
 ただ教学ができるからといっても、信行がなければ理の教学になってしまうし、それでは大聖人の”事の仏法”に反するいき方であることを銘記すべきである。
 次に、戸田前会長の講演集を読んでみたい。これは、昭和三十年の男子部総会のときの話である。その概要は――あそこにも、ここにも学会員がいる。どこへ行っても学会員がいて弱ったな、と思うときが広宣流布である、というものである。
 いま、現実に皆さん方も、そういう体験はたくさんあると思う。したがって、広宣流布の義については、”流行””流溢”の二義があるけれども、まさしく現実の実相のうえからみて、広宣流布という大河の確定的な流れがすでに実現しつつあることを、ともどもに銘記し喜びあいたいと思う。
 この昭和三十年の戸田前会長の講演では、これからの二十五年間で広宣流布の確定的な基盤の確立をしなければならない、とも強調しておられる。
 そのとおり、あと三年、すなわち創立五十周年、日蓮大聖人第七百遠忌と続くこれらの慶事が、広宣流布の一つの山を登攀する重要な足がかりとなることは間違いないわけで、ここに恩師の留言の正しさが裏づけられていることがわかるであろう。
 いよいよ日蓮大聖人のご指南どおりに、広宣流布の新たな前進をしたいものである。

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