Nichiren・Ikeda
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指導部最高会議
正しい指導、正しい信心を
1978.1.5 「広布第二章の指針」第12巻
前後
2 指導部の体制は、事実、約一千万の法友に対して、何万人、何十万人いてもまだたりないぐらいである。広布の第一線の組織のリーダーは、たしかに多繁であり、相当の活動力が要求される。したがって、比較的若い人が中心とならざるをえなくなっているわけである。そこで、信心重厚にして体験豊富な、学会の広布の宝ともいうべき年輩の方方が、いちおう、指導部に位置したことは事実である。このような体制にしたのも、あくまでも長寿であっていただきたいことと、次代のリーダーたちを大きく見守り、励ましていただきたいからである。
しかし、信心には、年齢がない。広布の聖業も一生である。一生成仏の修行もまた、一生でなくてはならない。そのうえから、広布の前進と信行の前進のために、姿は二元的にみえるけれども、異体を同心とした原理からいうならば、御本尊のもとにそれぞれの立場でおおいに指導し、活躍していくことは、仏法上、当然の理であることを忘れてはねらない。
3 広宣流布の赤十字に
いうなれば、われわれの目的と作業は、個人個人の一生成仏とともに、総体としては広宣流布である。広布は法戦である。すなわち、それは、人々をして仏知見を開かしめんとする作業である。そうした法輪の途上、傷つく人もでてくる。
ゆえに、指導部の同志は、広宣流布の赤十字となって、悩める人、病める人、信心の弱い人、疲れた法友、我見愚痴の友等々に対して、永年の信心体験と確信をもって、その人たちを一人も残らず救済していっていただきたい。
各地域ならびに組織にあっても、崩れざる広布の黄金の信心の柱であっていただきたい。指導部の方々の長い年月の間の体験を鏡とし、またその姿を自身の安心の依処とし、心から頼れる先輩としての信心の絆となっていただきたいのである。
ともかく信心の基本をよく指導願いたい。
いちおう、組織上には上下という姿はあるが、しょせん、信心の位が根本である。信心の厚薄、正しい信心の指導ができる人が、御本仏の称賛をうけることを忘れてはならない。
また、信心十年、二十年、三十年をしぬいた指導部員の方々の社会的な実証の姿は、万言より勝る。その意味において、学会の、社会に対する全権大使として、仏法即社会の流れを、さらに深くつくっていただければ幸いである。
牧口、戸田会長時代に厳しい訓練をうけずして現在幹部になり、我見多くして自己の名聞名利に走るような人も、将来、出るかもしれない。そうした場合も仏法の大先輩として、よく注意し、真実の仏法の精神、即学会精神をふみはずさぬよう、ご努力をお願いしたい。