Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

「高校新報」新春メッセージ 努カと精進の黄金の日記帳を刻もう

1978.1.1 「広布第二章の指針」第12巻

前後
1  信頼し、期待する高等部の皆さん、新年おめでとうございます。だれもが清新の息吹につつまれる新しい年の明け――諸君にとっては、ひときわ希望と抱負に胸ふくらむ元朝であろうと、私は信じております。
 月日のたつのは早いものです。古来”少年老い易く学成り難し”といわれるように、とくに若い時代の一年は、あっという問に過ぎ去ってしまいます。それだけに、かけがえのない青春時代の日々を、悔いなく大切に送ってください。
 私がちょうど諸君たちの年代のころ、興味深く読んだ本に、中江兆民(篤介)の「一年有半」「続一年有半」があります。”東洋のルソー”と呼ばれ、波乱万丈の生涯を送ったこの人物については、ご存知の諸君も多いと思います。その彼が晩年、喉頭ガンにかかり、余命一年有半の宣告をうける。以後約半年間、病床でガンと闘いながらつづられたのが、この本であります。
 人物論あり、時勢論あり、そして哲学論ありで、筆は縦横におよび、とても死期を間近にひかえた人のものとは思えない。そのなかに、次のような一節がありました。もう一年半しか生きられないという、周囲の愁嘆の声に対して、兆民はいうのであります。
 「一年半、諸君は短促なりと曰はん、余は極て悠久なりと曰ふ、若し短と曰はんと欲せば、十年も短なり、五十年も短なり、百年も短なり(中略)若し為す有りて且つ楽むに於ては、一年半是れ優に利用するに足らずや」と。
 まことに、意気軒昂であります。そして兆民は、事実、数か月の間に、文字どおり「一年有半」「続一年有半」と題する遺稿集を、後世に残したのであります。私は、病んでなお「若し為す有りて且つ楽むに於ては……」と全力投球をつづける兆民の心意気には、おおいに学ぶべき点があると思っております。まして洋々たる未来に向けて、前途有為なる諸君であります。私をはじめ先輩は、そして世界は諸君を待っております。一日たりとも無為に過ごすことなく、若人らしい、努力と精進の、黄金の日記帳を刻んでいってください。
2  そのさい私が、とくに強調しておきたいのは、持続ということの重要性であります。
 長い一生においては、一見つまらない、無意味と思われるようなことに取り組まなければならないときも、あるものであります。しかしそれは、かならずしも無意味であるとはかぎりません。しかもそれを避けずに、挑戦し続けたという事実は、問違いなく生涯の財産となっていくものであります。
 アメリカのプラグマティズムの創始者であるパースは、カントの「純粋理性批判」を毎日二時間ずつ、三年間かけて読んだといわれています。ひとつのエピソードですが、読書にかぎらず、人生には、そのように長い期間をかけて学ばなければならない問題だらけであります。いな、人生そのものがそうであるといってもよいのです。ゆえに忍耐強き持続ということが大切になってくるのであります。
 どうか諸君は、あせって挫折したり、劣等感のとりこになったりすることなく、順調のときも逆境のときも、勇気ある挑戦の日々を送っていってください。諸君の前途に、かぎりない展望が開けゆくことを確信しつつ、私のメッセージとさせていただきます。

1
1