Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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「無冠」新春寄稿 太陽の使者

1978.1.1 「広布第二章の指針」第12巻

前後
1  朝まだき、私は耳を澄ます。まだ覚めやらぬ静まりかえった街を、霜柱の立つ畑中の道を、白波が激しく岩を噛む磯辺を、ただ黙々と駆けてゆく無冠の友の足音を聞くために――。
 きょうも・明日も・大地の鼓動のごとくに、その足音は確実に響く。そして、その響きにあわせるように、慈悲に満ちた太陽が悠然と昇り、人々の朝が始まる。
 無冠の友は、太陽の使者ともいえるだろう。昇る陽が、山を染め、野を照らし、海に煌めいて、その暖かい光を送って地上に生命の躍動をもたらすように、無冠の友の足音は、同志の心に生気を呼びさます。あなたたちの運びくるかぎりない光と温かさが、どれほど多くの人々の心を、豁然と開いたことか。
 冬の朝は、ただ寒い。まして風雪の日は、なおつらい。息が凍り、手はかじかむ。私は少年時代の、冬の海で海苔をとった朝の冷たさを思う。そして、そのつらさを、使命感で吹き飛ばして、人生の思い出を深くする、あなたの雄姿を瞼に浮かべる。
 他のだれびとも味わえない苦闘を味わっている。それゆえに、他のだれびともが開きえない豊かな世界を一人開きゆけるのだと、ほほえみながら駆けてゆく、たくましいあなたの足音を、頼もしく聞く。
 「種種物御消息」にいわく「其の上雨ふり・かぜふき・人のせいするにこそ心ざしはあらわれ候へ、此れも又かくのごとし」と。
 雨が降り、風の吹くとき、いよいよ強盛の信心をあらわし、自身をみがきゆくあなた方こそ、学会魂の伝灯者であることを、私は知っている。
 あの時は寒かったよ、つらかったよと、笑いながら語るその思い出を、心の底から共有できるのは、同じその寒さと、つらさを、身をもって体験した人だけである。労苦を経験した人のみが、労苦の友をつつむ心をもっている。その意味で私は、無冠の友こそわが同苦の友と信ずるのである。
 わが無冠の友よ、心深き勇者よ、あなたたちがきょうも太陽の使者として、黙々と走る姿を、御本仏は静かに見守っておられる。
 私もまた戦おう。
 皆さんの健康と、ご一家の福運を、深く深く祈りつつ――。

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