Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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「大白蓮華」年頭の挨拶 本年も苦楽を共に

1978.1.0 「広布第二章の指針」第12巻

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1  親愛なる法友の皆さま、あけましておめでとうございます。皆さまのますますの福運の笑顔を元初の太陽が照らしている姿を思うとき、私の胸中は無量の喜びが湧くのであります。
 総本山には、いよいよご壮健であられる血脈付法の御法主日達上人猊下のご威徳を仰ぎ奉り、晴天のときも嵐のときも、悠々として確実なる旭日の昇りゆく姿をして、本年もまた、この一年を、私と苦楽をともにしていただきたいことを衷心よりお願い申し上げます。
 御書にいわく「但し此の法門当世の人上下を論ぜず信心を取り難し其の故は仏法を修行するは現世安穏・後生善処等と云云、而るに日蓮法師法華経の行者と称すと雖も留難多し当に知るべし仏意に叶わざるか等云云」と。
 このあと大聖人は「末法に入って教の如く法華経を修行する者は留難多かる可きの由・経文赫赫たり眼有らん者は之を見るか」と述べられております。
 私たちは、末法の御本仏日蓮大聖人の仏法を如説修行しながら、広宣流布に邁進している一人ひとりであります。ゆえに、御聖訓に照らして留難あるは、末法の法華経の実践者として当然の現象であるとともに、これまた仏法者として最大の名誉としなくてはならないのであります。
 正法には苦難はつきものである。これまでの例をみても、あらゆる法難といわれる多くのものは、すべて世聞の事に事寄せて起こることが、証明されております。したがって宗教革命を断行しているわが学会が、世間に事寄せたさまざまな非難誹誇をされることも、これまた覚悟のうえであります。
 そして、それらのさまざまな世間の非難をあびながら、だれもがなにものにも紛動されず、第一にも第二にも、信心強盛への御本尊よりの試しと受けとめていけるかどうかが鍵なのであります。嵐に吹かれても倒れぬ大樹に、そしてまたいかなる怒濤にも難破せぬ強靱な船舶のごとくに――すなわち、法華経譬喩品に「三界は安きことなし 猶火宅の如し 衆苦充満して 甚だ怖畏すべし」といわれるごとく、この世は圧迫の連続の社会であり、そのなかにあって、生涯を、金剛不壊の生命、そして常楽我浄の境涯で最大の思い出深き妙法の人生を生きゆかんがために、確固たる仏道修行をしていることを絶対に忘却してはならないのであります。
2  ともあれ、瞬時の紛動によって背信者の汚名を生涯永遠に残すことは、仏法者の最大の恥であります。どうか、信心に生きぬき、信心で人生を終わりゆくことが、日蓮大聖人から最大の賛嘆をうける最高の人生であることを、お互いに銘記し、確認しあいたいものであります。
  一時の勝ち負けというものは
  生涯 永遠という長期からみるならば
  真実の勝ち負けにはならない
  君よ どうか いかなる苦境にあったとしても
  私と共に 汝自身の信仰に勝ち抜くことこそ
  一切に勝利の栄冠が輝くことを
  共々に確認しておこうではないか

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