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日蓮大聖人・池田大作

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杉並区代表幹部会 如実知見の仏法指導者に

1977.12.28 「広布第二章の指針」第11巻

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1  この一年、全学会の法友に、あらゆる点でなみなみならぬ、ご苦労をいただいたことに対し、私はこの席をかりて心より感謝申し上げる。とともに、明年もまた、広宣流布のために、なにやかやとご苦労をかけるかと思うが、くれぐれもよろしくお願いしたい。
 法華経寿量品に「如実知見」という経文がある。これはまことに重要な意義を含む一句である。
 私どもは、人をみる場合、どうしても、たんなる自分の好き嫌いの感情や固定した先入観念でみてしまう場合が多い。社会観、世界観においても、これは同じである。しかし、人間観はもちろんのこと、すべての事象に対して「実の如く知見する」ことが、法華経の真髄なのである。
 ゆえに私どもは、この法華経文底の哲学、すなわち日蓮大聖人の妙法を信じ修行し、仏眼、法眼を涵養することにより、三界の相を如実知見できる指導者になっていかなければならない。
 仏法の眼から如実知見するならば、すべてこの世に生存するものは、他に代えられない使命をおびているのである。いわんや、妙法を信受した人々は、誰人たりとも絶対に、広宣流布のための尊い使命を有した人材である。
 妙法の指導者は、この前提に立って、寛大と確信と包容力をもって、すべての人々が力ある人材となり、縦横無尽に活躍できるよう、指導、激励をお願いしたい。
2  広宣流布が目的
 広宣流布という平和と文化の連続革命において、その途上に非難や中傷があることは当然である。かつての、暴力によって人間を犠牲にしてきた革命とはちがって、私どもの運動は、一人ひとりに万法の当体たる御本尊を受持させていく根本の革命である。ゆえにいかなる非難や中傷があっても、恐れてはならない。非難や中傷を恐れることは、仏法よりも世法を中心に考えている姿である。仏法の正義のためには一歩も退かないということが信心なのである。それが即、広宣流布につながっていることを強く銘記されたい。
 戸田前会長がつねづね遺言としていわれていた「学会は広宣流布を目的にせよ」という根本精神を、ここで再確認しておきたい。
 他の教団には目的がない。日蓮正宗、そして創価学会にのみ、広宣流布という大目的がある。日蓮大聖人は「異体同心なれば万事を成し」と申されておられる。それに対し、異体異心の人は、おのれ自身の願望も成就することはできないであろう。
 妙法を根本とした同心の信心があって、はじめて個人における人間革命も、また、地域も社会も安穏にして平和にしゅく広宣流布の聖業も成就されていくとの仰せである。
 この御本仏のご指南を絶対に忘れてはならない。世間では、学会は世襲制にするのではないか――という人もいるが、学会は、永久にそういうことはしないということを申し上げておきたい。
 この世襲制うんぬんについては、いままでも幾たびとなく言明してきたとおりである。信仰を根本とすべき宗教において、世襲制はそれ自体、もはや堕落である。
 ある著名な学者が、学会の労苦の歩みに対して、こう評価していた。
 ――短期間のうちに、これほどの偉業を成し遂げた教団はない。宗門の外護をはじめ、教育、文化、組織、人材育成等々にみる姿は、まさしく世紀の偉業である。もはや、どのように非難されようとも、これらの指揮をとられた会長には、なんの梅いもないであろう――と。
 私は「そのとおりです」と答えるとともに、しかしあとは、どれだけさらなる未来の建設と発展のための人材をはぐくんでいけるかが、私の責務である、ということも述べたわけである。いつもいうことであるが、私の最大の願望は、ただただ人材を養成することにある、ということを知っていただきたい。
 広布の大河を、二十一世紀の大海へと開き、発展させていくためにも、さらに今後とも、妙法への信心の灯を輝かせながら、いちだんと勇気をもって進んでほしい。この信心の灯こそ、人類の希望の灯であり、これが消えてしまったら、人類は永久の闇に閉ざされてしまう。この強い強い自覚を失わないでいただきたい。
 最後に、明年は、お互いに苦労はあろうが、それによって力ある仏法者になると同時に、社会のあらゆる階層にあって堂々たる人材となって活躍していただきたい。それが一歩前進の広宣流布の姿であるからだ。
 ともあれ、信心はいよいよ強盛に、そして行動はどこまでも謙虚にしていくべきである。
 皆さん方の、ご健康を心よりお祈り申し上げ、本日の指導とさせていただく。

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