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立川文化会館開館記念勤行会 人生究極の信心を厳然と

1977.12.23 「広布第二章の指針」第11巻

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1  皆さん方の努力の結晶により、第二東京本部の中枢拠点ともいうべき偉容冠たる悠久山立川文化会館が誕生したことに対し、心から祝福申し上げたい。
 私はただいま、この新しい法城の御本尊に、第二東京本部の折伏が無量に切り広がることをご祈念申し上げ、ともに皆さん方ご一家が無量の福運につつまれていくよう、つつしんでお祈り申し上げました。
 どうか、すべては皆さん方の仏道修行のため、広宣流布のための、平和と文化の法城でありますゆえに、これからも思うぞんぶん活用していってください。
2  山号について
 悠久山立川文化会館の山号について、申し上げておきたい。
 ご存知のように総本山におかれては「多宝富士大日蓮華山」というまことに荘厳なお名前がある。これにちなんで戸田前会長が、創価学会本部にみずからが「旭日山」という名称を冠せられたのである。そして、やがて未来に、広宣流布の礎として各地に会館を建てたときには、同じように山号をつけてはどうかといわれた。ごく少数の人の集いでの話であったが、現在はそれをうけて、学会本部それ自体を「旭日山」、創価文化会館等を含めた総体として「元初山」と命名しているわけである。
 ここの「悠久」という山号は、悠久に広宣流布の流れをつくるという意義から名づけたものである。
 このように、山号は、御本尊まします霊鷲山を荘厳するために、また、仏法の当詣道場とするための深い構想にもとづくものである。
 しかし、学会はいままで、山号をつけるような立派な会館はどこにもなかった。だが渓流から大河の時代に入り、皆さん方の努力とともに、本部の応援と相まって、各地域に立派な文化会館や研修道場ができるようになった。そこで副会長室等で検討し、戸田前会長の遺志をうけて、その地域の意義を含めて、山号がつけられているしだいである。
3  なぜ学会に会館、すなわち法城が必要であるかについて、一言申し上げておきたい。
 ご存知のとおり、これは、皆さん方からの永年にわたる強い希望と要請によるものである。草創期の段階においては、広布の拠点として皆さん方の家庭を使わせていただいた。しかしながら、建物は、大勢が集まるには小さいし、ときには老朽して床が落ちたり、あるいは駐車場がまったくなかったり、あるいは読経、唱題の声で、隣近所に迷惑をかけたりしたことも少なからずあったことも事実であった。信心即社会という道理のうえからも、こうした社会性尊重の方向を真剣に考えなければならない時代に入ってきたことは、皆さんも痛感してこられたことと思う。
 こうした時代の要請をもふまえ、社会のなかで活躍する会員同志のいちだんの貢献を考えつつ、各県、各地域でそれぞれの委員会の主体的な協議によって数年前から計画を練ってきたわけである。
4  各界の多くの識者が指摘しているとおり、いよいよ社会も、厳しい時代状況と直面したようである。
 しかし、おそれおおくも御本仏日蓮大聖人は、御年五十代で最大の難にあわれた。それでも厳然と、使命を果たしておられる。また、凡夫である牧口初代会長も、七十代で難にあわれた。
 これを思うとき、壮年部であるわれわれは、社会の総罰のうえからの波をうけるのは当然としながらも、絶対に自分自身には負けないという信念、すなわち人生究極の信心だけは貫くという厳然たる姿勢であっていただきたい。
 いかなる暗黒の社会であったとしても、信心強盛なる人、朗々と宇宙の法則に帰一した題目を唱えぬく人は、もはやそれ自体が仏界であることを銘記されたい。
 日蓮大聖人は、あの極寒の佐渡流罪においても、なお「喜悦はかりなし」と仰せになっている。その大聖人の末弟に連なる私どもは、いかなる逆境にあっても、そこから希望を生み出していく強盛なる祈りと信心によって”自分は信心で勝った”と雄々しくいいきれるような人生の総仕上げをしていっていただきたい。
5  最後に”地域の御書”について申し上げたい。
 現在、地域の教学運動を進める一環として、それぞれ自主的に”地域の御書”を決め、いちだんと活発に学習が進められていることは周知のとおりである。
 そこで第二東京本部としても、山崎副会長をはじめとする幹部首脳からの発案をうけて、私から提案したい。第二東京の御書は「当体義抄」と「諸法実相抄」としてはどうかと提案申し上げたいが、皆さんのお考えはどうでしょうか。(全員が賛同の挙手と拍手)それでは、正式に決定させていただきます。
 月々の御書学習会における教材もあるし、御書のどこを学ぶのも皆さん方の自由である。しかし、この二編の御書については、どの個所でも大丈夫、私にまかせなさい――といえるような学習運動を、地道に、着実に進めていっていただきたい。

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