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日蓮大聖人・池田大作

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第11回関東本部長会 ”座談会の関東”を合言葉に

1977.12.18 「広布第二章の指針」第11巻

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1  信心即健康を第一義に、生きて生きて生きぬいていくことが仏法であり、それが信仰の本義である。令法久住、広宣流布といっても、御本尊受持の法友が、頑健に生きぬいていかなければ観念論になり、実現不可能となる。
 世界の宗教史において、かのユダヤ教ほど弾圧と迫害の歴史をつづってきた宗教はないといえよう。しかし、数千年を経た今日でも、ユダヤ教を信奉する指導者が各地で活躍している。これは、ひとくちにいえば生きぬいたからである。”生き延びよう、たとえ自分が死んでも、後に続く同志に、子供に、信仰の教義を植えつけ、伝えていこう”との強い決意が、今日まで受け継がれてきたわけである。
 このユダヤ教の数千年の歴史と比較してみるならば、われわれの広布の歴史と道はまだまだ短い。しかし、皆さん方は、この歴史的な差を越えゆく壮大なる境涯と指向性をもって、どこまでも生きぬいていただきたい。
2  学会の組織は、あらゆる面で、全員が”心から安心できる”世界でなくてはならない。厳しく戒めるべきは謗法であり、御本尊に対する信仰の姿勢である。あとは、けっして恐れさせたりせず、安心しきったあたたかい世界としていっていただきたい。
 来年度は、再び座談会に全力をあげよう。これが仏道修行と地域広宣流布への最短距離である。また、あらゆる階層の人間対人間の仏法民主主義の尊い縮図である。ゆえに、この運動こそ、水の信心、すなわち信心の地下水脈をとうとうと流しゆく最大の運動であると銘記されたい。
 草木も根が切られては生えない。と同じように広宣流布の根っこにつながるのが、座談会である。座談会は地道だが、この地道な階段を、一歩一歩上りゆくところに崩れざる広宣流布の和合僧ができあがるのである。その意味で幹部は、座談会の名人、達人となっていただきたい。
 座談会は、小人数であるから、価値ある会合ができる。これまでも、世間の風波に左右されずに仏法の奥義の体験を語りあってきたがゆえに、それが広宣流布の最高の原動力となって、今日の、日本的、世界的胎動となってきたことを忘れてはならない。
 新宿区のあるブロックでもこの一、二年で、中心者の信心の向上によって、十数人しか集まらなかったのが、倍の数になってきている。そして、一人ひとりが観念論でなく、自分の体験と信仰の確信からにじみでる話をするようになったという成長の姿があることは、まことに重要である。
 来年も一年、この本部長会を継続し、お互いに錬磨しあいながら成長しよう。たとえ北風に吹かれ、荒波に打たれても、日蓮大聖人の仏法の真髄を信じ、行ずるこの道を確固と歩み、十年にも勝る一年としていこう。(要旨)

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