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日蓮大聖人・池田大作

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第2回法政大学会総会 われらの宝は慈悲と哲学

1977.12.18 「広布第二章の指針」第11巻

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2  学会の後継者たる諸君は、どうか魅力あるリーダーに育っていただきたい。魅力とは、誠実さであり、みずからの人格、言動をとおし、人々に信頼を与えゆく個性ともいえる。そうした個性を、信心によってさらにみがき、向上させていってほしい。
 そこで、一つの提案としてお願いしたいことは、一人ひとりが座談会、個人指導の名人になっていっていただきたいということである。
 座談会、個人指導の実践は、けっして華やかなものではない。しかし、この地道にして現実的な実践にこそ、生活の縮図があり、民衆の縮図があり、広くは人類の縮図がはらまれている。諸君の両親、先輩同志が、今日の広布の舞台を開いてきた淵源も、この座談会の粘り強い実践に帰着するのである。
 人間と人間の生命の交流により、友を激励し、信仰に立ち上がらせていく一その行為こそが、慈悲の発露である。したがって、言葉のみの慈悲、観念的慈悲というものもありえない。
 哲学もまた同様である。観念の哲学は、頭脳には共鳴を与えたとしても、生命の心王には届かない。真実、生命を動かし、精神を開拓しうるものは、勇気を慈悲に変えての実践であり、そこに、われらの哲学の真髄があることを強調しておきたい。
 この学会の伝統である座談会、個人指導こそが、草創期以来の学会前進の原動力であり、広布の生命線なのである。ゆえに、次代を受け継ぐべき諸君は、青年時代に、座談会、個人指導の名人としての基本的修行をすべきである。
 その基本的実践の積み重ねをしていない指導者は、かならず我見となり、人々から信頼されなくなってしまう。率先して座談会と個人指導に取り組み、実践の場で鍛えあげられた指導者こそ、年月が経るにつれて、光り輝いていくことは、先輩の姿で証明されている。
3  日蓮大聖人は、数々の大難にも、人類救済のために、一歩も退かれることはなかった。ご生涯を通じて難と戦い、そして勝利あそばされた。そして、末法万年にわたる不滅の原点たる法体の建立、法体の広宣流布をなされたのである。
 われわれ大聖人の仏弟子は、化儀の広宣流布を実践の使命とする。大聖人即御本尊を根本としながら、現実社会のなかに仏法を展開しゆく運動である。その実践は御聖訓に照らされた如説修行の実践でなければならない。ゆえに種々の試練の風が吹くことも当然といわなければならない。
 大事なことは、日蓮大聖人が、大難を通しぬかれて、究極としての法体を確立された事実である。難に耐えぬかれたがゆえに、法体の広宣流布ができたのである。
 同じく、われわれ荒凡夫の化儀の広宣流布の世界においても、種々の嵐の試練をうけながらも、絶対に崩壊されないという和合僧の姿になることが、盤石なる化儀の広宣流布へと到達する鍵となるのである。その意味で和合僧団を断じてくずしてはならない、厳議しなければならない。ともかく勇んで御遺命の道を信心強盛に邁進していきたい。(要旨)

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