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日蓮大聖人・池田大作

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足立の日記念勤行会 化儀の広布を悠々と推進

1977.12.16 「広布第二章の指針」第11巻

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1  私が朝起きると、まず目に入るのは、近くの一本のイチョウの大樹である。相当の樹齢を刻んでいるであろうそのイチョウの樹は、雨の日も風の日も、そして嵐にも、泰然自若としてそびえ立っている。
 このイチョウを見るにつけ、なにがあっても泰然自若とした信心を貫かねば、という思いにかられるのであるが、どうか、皆さんも、そのような泰然たる信心であっていただきたい。
 時代がどのように変わっても、御本尊、御書は不変である。このことを強く確信し、時流に紛動されない強盛な信心を生涯、貫いていただきたいし、それを貫ける人が最高の人生を満喫できるのである。
 現在、広宣流布の流れが渓流から大河へと入り、大海へと向かう段階に入っていることは、これまでたびたび話してきたことであり、皆さんもよく理解してくださっていると思う。
 この渓流と大河に関していえば、一般的に、渓流は周囲も静かな山間を流れ、汚染もされていない清流である。これに対し、大河になると、周囲には人家も立て込み、工場等も多くなり、水も濁ってくるのがふつうである。
 こうした環境の劣悪な時代にあっても「源遠流長」の原理にのっとって、仏法実践を進めていくことが大事になる。すなわち「源遠」である本門戒壇の大御本尊を原点にして、渓流から大河へと、一切の流れは「流長」となる。このためにも、総本山を永久に外護しつつ、広宣流布を進めていかなくてはいけない。また、そうした御本尊の慈悲に全人類を浴させていくための広宣流布の実践に励んできたのが、われら妙法同志のこれまでの輝かしい足跡であった。
2  人間社会には、科学、経済、政治、教育、文化などさまざまな分野がある。それらは、科学が物質を中心とし、経済はお金、利害というものを扱い、政治は制度を対象にし、教育は人間育成に取りくむというように、それぞれの対象となるもの、中心とするものがある。
 そのなかにあって、もっとも根本となる人間生命そのものを対象とするのが宗教である。なかんずく、人間生命の宿命転換といった本源の生命開拓は、仏法による以外にないことを強調しておきたい。
 「是の法、法位に住して世間の相常住なり」(御書787㌻)とあるが、仏法は現実の社会を離れてはありえない。創価学会は、日蓮大聖人の御遺命のままに、この社会に仏法を広宣流布するために発足をしたのである。そして、仏法を基調とした平和と文化の運動を進め、社会の各分野に仏法精神、仏法思想を展開してきた。
 この、御本尊、信心を根本とし、社会万般に貢献していく活動が、永遠に変わらない化儀の広宣流布の道程であり、この方程式にもとづいて、人類の幸せのための盤石な基盤を確立しておきたいというのが、私の会長就任以来の願いである。
3  学会の大先輩の方々をみても、大難に耐え、信心を貫き通した人は、福運に満ち、輝く存在となっている。皆さん方も、どのような大難、風雪にあっても、御本尊をだきしめて、偉大なる一生成仏の道を歩み続け、満足の人生を築いていただきたい。
 難をさけ、退転をすれば、楽をしたようでも、仏法の因果の厳しい理法はのがれられないし、御本尊、そして生命の倶生神は、じっとみているのである。
 御義口伝の「方便品、第三唯以一大事因縁の事」に「我等が頭は妙なり喉は法なり胸は蓮なり胎は華なり足は経なり」とある。
 ここで「足は経なり」とは、実践、行動することこそ、仏法を説き、久住せしめる根本であるとの意と拝せよう。「経」には、言語音声と三世常恒の意味があるからである。
 その意味で「足は経なり」との御文から、私は「足立」の信心のモットーとして、行動第一ということを訴えたい。”仏法のために行動しよう”と、折伏に、人材育成に、健康に留意しつつ、前進していただきたい。(要旨)

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