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日蓮大聖人・池田大作

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日向本山定善寺本堂新築落慶入仏式 常楽我浄の信心を一段と

1977.12.4 「広布第二章の指針」第11巻

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1  本日の慶事は、宗祖日蓮大聖人の滅不滅の第七百遠忌を眼前にして、いわばその開幕という意義をもった儀式であり、私どもの喜びはひとしおである。これもひとえに、日達上人猊下のご威徳のたまものであり、かつ当ご住職である小原日悦尊能師の永年の赤願の結晶であると、深くご尊敬申し上げるものである。
 六百数十年の歴史をもつ名刹・日向定善寺は、現在の第三十二代の住職である小原尊能師の、ご努力が実り、昭和三十二年八月三十日に、日向七か寺もろともに日蓮正宗への帰一法要が行われた。それ以前にも、妙蓮寺、讃岐本門寺、保田妙本寺等、一連の正宗復帰があり、戦時中の悲しい歴史を越えて再び正統の清流の大河に入られたわけである。
 ともあれ、当住職の小原先生の、八十歳のご高齢でありながら、なおかくしゃくとしてお元気な姿を目のあたりにし、うれしいかぎりである。
 小原先生には、十数年前にかならず定善寺にお訪ねしたいと申し上げた約束が、本日果たすことができ、私はその意味からも二重の喜びである。どうか小原先生には、宗門の、ご長老として、ますますご壮健であられますよう、心からお祈り申し上げたい。
 南国の香り漂う景勝の高台の地に、古きよき伝統をふまえた近代建築として、ここに新本堂の雄姿が浮かび上がり、この新旧の見事な調和のなかに生々澱刺たる清気満つる感がある。まさにこの定善寺本堂は、揺るぎなき仏国土の表徴である。
 どうか法友の皆さん方は、一致協力して宮崎の広宣流布に、きょうより再び勇猛邁進していかれるよう念願してやまない。
2  誠心誠意をもって、宗門を厳護していく私たちの精神は、今後も不動である。私は愚鈍の身であるが、日達猊下にわがままを申し上げながら、いま、末法万年流布のために、また宗門外護のためにも、真剣に基盤を確立するために戦っている。すべては、時代社会が転た迷路に彷徨してゆくであろう現在と未来に、いかなる風波にも微動だにしない僧俗和合の妙法の万里の長城を、さらに深く、広く築いておきたいからである。世間の一切の批判の矢面に立ちながらも、これだけは完壁にしておきたいというのが、私の強い念願であることを知っていただきたい。
 われわれは、愚昧にして未熟な凡夫であるがゆえに、勝手気ままと思われる節も多々あろうかとぞんじますが、未来に揺るがぬ化儀の広宣流布の基盤をつくっておきたいという熱意だけは、貫いている。この点をどうかくみ取っていただきたい。その意味で、本年の末寺の大事なお会式で、参詣者が少ない寺院があったと聞き、まことに残念なことだと思っている。末寺のお講についても、私がその繁栄を願って発願したものであり、第七百遠忌をめざしていちだんと盛んにしてまいりたい所存である。
 どうか各寺院におかれても、子供である私たちが、喜んで参詣できるよう慈しみ守っていただきたいことを、この席を借りて心からお願いしたい。
 また、彼岸法要等については、学会としても宗教行事として行ってまいりましたが、各寺院の儀式も、さらににぎやかに行われていくよう努力しなければならないと深く思っている。どうかご尊師の方々には、私ども信者のいままでのわがままを、ここに謹んでご寛恕くださるようお願いしたい。
 最後に、われわれはどこまでも、日達上人猊下の御心を体して、胸中には常楽我浄の信心をさらに開き、そして外には、三障四魔の嵐に敢然と向かっていくことを御宝前にお誓いして、この佳き日のごあいさつにかえさせていただきたい。

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