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日蓮大聖人・池田大作

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板橋区男子部総会 人生の根本は信行学のリズム

1977.10.15 「広布第二章の指針」第11巻

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1  青年期は、人生においてもっとも悩みの多いときである。他の職場や他の人たちの境遇をうらやんだり、自分の仕事、家庭、人生に悩みがちである。またときには、独善的にもなりがちで、他の人のことを考える心の余裕をもてない場合が多い。
 これはいわば、そこに無限の可能性と独創性をはらんではいるものの、人間としての”芯”が確立されていない時期であるからといえよう。
 未熟かもしれないが、私の三十年間にわたる信心と、四十九年間の人生の体験をとおしていえることは、青年には青年の鋭さと革新性はあるが、円熟と確信にまで昇華された永年の人生経験から比べて、青年期においてみている人生というものは、まだまだ浅いように思われるということである。
 私は、この意味を含め、諸君らの先輩の立場として、人生の根本は信行学のリズムにある、ということを申し上げておきたい。
2  一般的に、青年は、もがき苦しみながら、みずからの人生に挑戦していくが、ある年齢になると、社会と妥協してしまうし、あるいは”これでいいんだ”とあきらめたり、退歩し敗北者になってしまいがちである。現実社会が「娑婆世界」という苦悩の多いものであるからやむをえないかもしれない。
 しかし、妙法を信受した皆さん方は、現在おかれている職場、家庭、境遇を自身の本有常住の世界ととらえ、そこで未来を開いていくために、勤行、唱題を実践しぬいていただきたい。
 大聖人の仏法は、本因の仏法であるがゆえに、強き一念を込めた唱題が因となって、因果の理法で、かならず道は開け、人生の花が咲いていくのである。
 さらに「行学の二道をはげみ候べし」で、「行」である学会活動と「学」である教学の研鑽が、人間革命の両軸となる。
 何度も申し上げてきたように、仏道修行は一人でできるものではない。御本尊に直結した正しい信心を教えてくれたのも創価学会であるし、仏法哲理をわかりやすく、正しく教えてくれたのも創価学会であった。その学会とともに、行学の二道に励んでいただきたい。
 日蓮正宗創価学会の実践によって、大聖人の仏法が、日本だけでなく全世界へと、とうとうと流れ通っている実証こそ、われわれの「信行学」が正しい、なによりの証拠であると確信し、たゆみなく信行学の実践を貫いてほしい。
3  長い人生の途上には、いやな思いをすることも多々あろう。諸君たちは、まだ若いがゆえに、失敗も少なからず経験するにちがいない。しかし、一時の感情に左右されたり、失敗を恐れる必要はないと申し上げておきたい。
 どのような状況下におかれようとも、この信心の電流だけは絶対に切ることなく、現実の諸問題に挑戦していっていただきたい。
 この粘り強い実践の繰り返しのなかにこそ、信仰の”根っこ”も、人生の”芯”も、しぜんのうちに確立されていくのである。
 仏法の世界にあっては、一時的に失敗のようにみえても、あとになって振り返ってみれば、その失敗もぜんぶ生きてきているものである。仏法には一つのムダもないということを、諸君らも人生の総仕上げの段階に入って明確に自覚していくであろう、この意味からも、ともかくいまは、勇気をもって、なにがあっても御本尊根本の仏道修行に励むことが大切である。「よからんは不思議、わるからんは一定とをもへ」との御聖訓を胸に、また「罰即利益」「煩悩即菩提」の法理を確信し、明るく仲びのびと、一切の問題をよい方向へ転換しゆく、勇気ある実践を願いたい。
 一人ひとりが十年、十五年先に再会したときには、この日の集いが機縁となって、大きく成長を遂げたと、心からいえるような人材になってもらいたい。
 きょうの総会は、その出発の儀式ともとらえ、関西が広宣流布の錦州城といわれているように、板橋もまた、関東、東京の広宣流布の盤石なる錦州城となっていくよう、心より念願している。(要旨)

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