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日蓮大聖人・池田大作

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厚田・戸田講堂開館記念勤行儀式 有縁の地に恩師の遺徳輝く

1977.10.1 「広布第二章の指針」第11巻

前後
1  恩師戸田前会長の遺徳を顕彰する、この厚田の記念墓苑は、また、恩師の遺志を実現したものでもある。
 その構想は、あるとき、戸田前会長がなにげなくいわれたひとことに由来している。
 その内容とは、われわれは未曾有の広宣流布のために地から湧き出た学会っ子であり、地涌の菩薩である。この末法の現実の世界で、波乱万丈の戦いをしきって一生を生き、あとはわが同志といっしょに、どこかで静かに眠りに就きたいものだなというものであった。この当時は、戸田前会長もまだお元気のころで、広宣流布という長途の旅へともどもに励ましあいながら進んでいく過程での話であったがゆえに、どこにという明示はされなかった。しかし、この恩師の言葉は、私の脳裏にどうしても消えない一つの重要な構想を芽生えさせたのであった。
 わが同志といっしょに、できることならバラバラにならないで静かに眠りに就きたい――との遺言を、生死不二の原理に照らしていうならば、再び新たな生命を蘇らせながら、ともどもに広宣流布のために戦っていこう、との意味になろう。
 ともかく、恩師の出獄三十周年の佳節にあわせて、墓苑建設の構想を発表して以来、わずか二年の歳月を要して実現の運びとなったわけである。
 快晴の見事な慶祝日和に恵まれ、本日、このように喜び勇んで参集できた事実は、なによりも御本尊の称賛のしからしむところと確信してやまない。恩師戸田前会長の喜びもいかばかりであろうと思わずにはおれない心境である。
 私自身、会長就任十七年半の間、これまで幾多の慶事を迎えてきたが、戸田前会長を中心とした創価学会の世界において、本日ほどうれしく、また晴れがましい慶事はないということを申し上げておきたい。
 この恩師ゆかりの厚田の大地は、私にとって”心の故郷”である。これからも、生涯にわたって、何度もこの地を訪れ、同志を守り、恩師の遺徳をしのびながら、有意義な歴史をつくっていきたいと念願してやまない。
 皆さん方も、苦しいとき、つらいとき、行き詰まったときには、この地を訪れては墓参し、唱題しながら蘇生して帰っていくこのように最高の思い出深い生死不二の旅をしていっていただきたい。
 「破信堕悪御書」の一節を拝読したい。そして、この御文のなかに、信仰者としての根本姿勢が含まれていることを確信し、勇気と希望に満ちた前進を願いたい。
 それは「釈迦仏は三十二相そなわつて身は金色・面は満月のごとし、しかれども或は悪人はすみる・或は悪人ははいとみる・或は悪人はかたきとみる」――との一節である。この「釈迦仏」とは当然、三十二相のインド応誕の釈迦であるが、仏として人々から最高の尊敬をうけた釈尊も、悪人はそうとはみない。心の曲がった悪人にとっては、たとえ金色の仏でも、炭とみ、灰とみ、かたきとみてしまう――との意味である。
 御本仏日蓮大聖人は、ご承知のとおり、凡夫僧のお姿で、この末法に出現なされた。釈迦の例からしても、大聖人が数々の大難にあわれたのは当然といえよう。いわんや、われらは凡愚のものであり、信者の立場であり、さまざまな北風があるのは、これまた当然のことといわなければならない。
 したがって、どうか、皆さん方は、いかなる批判、中傷にあっても紛動されることなく、この学会の有縁の地より、北海道広布のため、自身の一生成仏のために出発し、また帰ってくるという最高の生きがいの旅を繰り返していくよう、心より念願している。(要旨)

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