Nichiren・Ikeda
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足立区壮年部総会
一個所でも御書の色読を
1977.9.25 「広布第二章の指針」第11巻
前後
1 戸田前会長は、法華経講義のさい、この二十八品の経文のなかで、一個所でも完全に色読できれば、あとはすべて理解できるものだ、とよくいっておられた。
と同様に、日蓮大聖人の御書のどこか一節を完壁にみずからのものとして体得、実証、確信できたならば、他の一切の御書にも通じていくことができるといえる。
したがって、生涯において、どこでもいい、御書の一節に透徹し、体得し、立派に実証していただきたい。
御書に「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる事を」との一節がある。
法華経の信心は”冬”のようなものである。その厳しい宿命転換の戦いがあってはじめて”春”を到来させ、福運を築くことができる。そして再び”冬”が到来するであろうが、それによって、もっと偉大な”春”を呼ぶことができるのである。
この”冬”と”春”の信仰実践の繰り返し、持続のなかに、一生成仏への道も開けてくるわけである。そして、永遠の生命からみれば、無量の法器、無量の福運ある生命として、春爛漫の境涯を永続することができるのである。
2 どのような理由づけをしょうとも、信心を退転したならば、それは、自身の信念の敗北である。人生の総仕上げの段階にある壮年部として、信心、仏法精神だけは、強固に確立し”最後まで信仰を貫いてよかった”と、心からいえるような人生を送ってほしい。
朗らかで悠々たる太平洋のような気持ちで一家、一族をつつみながら、御本尊を抱きしめた尊い一生を終わるならば、生々世々、永遠に、勝利、栄冠の人生であることは間違いないと申し上げておきたい。
どうか、体を大切に、朗らかな前進をお願いしたい。(要旨)