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日蓮大聖人・池田大作

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第8回関東本部長会 信仰は悠々と朗らかに

1977.9.25 「広布第二章の指針」第11巻

前後
1  広布の指導者は、いい意味での楽観主義で進んでいっていただきたい。けっして、神経質になる必要はない。
 「からんは不思議わるからんは一定とをもへ」との御聖訓どおり、広宣流布の途上、北風の吹き荒れることを当然と覚悟していくべきである。
 しかし、たとえ北風に吹かれても、煩悩即菩提の原理で、一切の試練は強靱な心身を養う格好の善知識であるととらえ、いちだんと生命力をわきたたせて、楽しく前進していってほしい。楽観主義だからといって、無責任でいいという意味ではない。広宣流布を推進するわれわれは、さまざまな事象に対する鋭敏な批判力と見識はつちかっていかなければならない。見極めるべき点は見極め、対処すべき事態には完壁に対処していく。そのうえで、後輩をあたたかく包容しつつ「時を待つべきのみ」の精神で、悠々と進んでいくことが大切である。
2  次に、指導部メンバーの役割について一言したい。
 指導部の方々は一生涯、指導部としてやっていっていただきたい。指導部の方々は、広布の指導、信心の指導という名誉ある任を担う人であり、広宣流布における仏道修行の風雪の道を歩みぬいてこられた、たいへんに尊い存在であり、創価学会の柱といってもよい。
 したがって、各部の皆さん方は、指導部の存在があればこそ、後輩の成長があり、学会の前進も安泰であると心得ていくべきである。そして、指導部の方々に対しては、最大に尊敬し、守り、あたたかい配慮と真心を尽くしていただきたい。
 信心の骨髄を生命に刻んだ指導部が、地域の第一線で、最大の生きがいをもち、伸びのびと活躍している自立能動の姿こそ、創価学会の理想像であると申し上げておきたい。
 先輩がいるとやりにくいと思うときもあるかもしれないが、それらの先輩がいるから成長できる。やりよいだけではわがままになり、無責任になる。この意味から、各部とも互いに協調しあいながら、万代の繁栄のためにも指導部の方々が、その力を十分に発揮できるよう努めてほしい。(要旨)

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