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日蓮大聖人・池田大作

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荒川区壮年部総会 妙法以外に遊楽なし

1977.9.12 「広布第二章の指針」第11巻

前後
1  人生の価値とは、端的にいって、楽しみと苦しみの差し引き総決算にある。これは、恩師戸田前会長がよくいわれた人生の価値判断のひとつの尺度であるが、平易な原理のなかにも、非常に深い意味が込められていると思う。
 人生を楽しみ、あるいは苦しむ――この実相の積み重ねのなかに、生命の傾向性を形成していくのである。したがって、これによって成仏への道も開かれていくであろうし、逆に、三悪道に向かうこともある。これは、生命の因果の理法のうえからも、明らかといえる。
 そこで、大切なことは、御書に「一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり」とあるごとく、真実の遊楽、最高の遊楽とは、題目を唱えぬいていくこと、それ自体にある――この一点を、忘れないでいただきたい。
 すでに、そのことは、皆さん方も、これまでの信仰の歴史のなかで実感されていよう。人生は、けっして、楽しみの世界ばかりではない。激動の社会に生きる人間として、さまざまな苦悩があるのは当然のことである。まして、壮年の方は、現実を動かしていく重要な立場にあるだけに、ある意味で、苦闘の連続が現実の姿ともいえよう。
 しかし、南無妙法蓮華経と唱えて、苦悩と対決していくならば、たとえ、一時的には不幸にみえるようであったとしても、本有の人生に真実の遊楽の世界を湧現できるというのが、妙法の根本原理なのである。これが、三世を通暁された御本仏の御聖訓であり、また、事実、そのような結果となっていくことを確信していただきたい。
 人生の長い旅路にあって、また広布の遠征途上においては、晴れの日もあれば、厳しい風雨のときもあるであろう。しかし、われら仏法家族は、妙法の丈夫として「月月・日日につより給へ」の御金言のごとく、御本尊根本に、この人生を見事に全うし、無量の福運を一家一族に花と咲かせていっていただきたいというのが、私の最大の願望である。
 ともあれ、われら信心の同志は、互いを善友として、仏法の世界に集いあい、また、そのように努力するなかに、人生の喜びをより多く生み出していけるとの決意で、またいちだんと、勇気ある前進を重ねていかれんことを心より念願してやまない。(要旨)

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