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埼玉創価学会記念勤行会 悩みとの対決のなかに人間革命

1977.9.10 「広布第二章の指針」第11巻

前後
1  小説「人間革命」第十巻のなかでもふれたことであるが、かつて恩師戸田前会長が、私に語った一言が、いまも脳裏に刻みついている。
 それは「人間は悩まなくてはならない。悩むところに、信心が深まり、人間としての偉大な成長がある」というものであった。
 人生は、ある意味では悩みの連続であり、それが人生の実相ともいえよう。どのような人生にも、かならず悩みとの対決がある。いわんや、広宣流布という最高の大目的に向かう途上に、悩みがあることは当然のことである。自身の人間革命のため、一家の建設のための悩みがある。さらには、さまざまな三障四魔との苦闘もあろう。
 このように、責任感が強ければ強いほど、真面目に人生を考えれば考えるほど、悩みは尽きないともいえる。
 したがって、そうした一つひとつの悩みを避けるのでなく、どこまでもその解決のために、粘り強く御本尊に祈っていく――このあくなき挑戦の姿勢を貰いていける人にこそ、深き信仰と、おおいなる人間革命の結実があるということを申し上げておきたい。
2  ともかく、真の幸福境涯の実現は、御本尊に題目を唱えていく以外ないことを知っていただきたい。このことは百万言を費やすよりも、多くの同志の事実の信仰体験が如実に物語っている。
 先日の「聖教新聞」の文化欄にも、死の苦悩の淵から蘇生した人の体験が、一医学博士の手によって感動的に紹介されていたが、これも題目の力の偉大さを証明するものである。
 要するに、なにがあっても、ただ「南無妙法蓮華経」と唱えぬくことが、一切を開く根本なのである。そして、その題目を唱えることを教え、正しく導いてくれる和合僧を大切にすること――この二点を、けっしておろそかにしてはならない。
 仏法は、一個の人間の成仏のためにある。極言するようだが、御書も、そして論釈も、すべてがそのためにあるといってもよい。広宣流布といっても、そこから出発し、そこに帰着することを忘れないで、生涯の信仰を全うしていただきたい。(要旨)

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