Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第7回少年部総会 信念強き創価の後継者に

1977.8.8 「広布第二章の指針」第11巻

前後
1  第七回少年部総会の開催、ほんとうにおめでとう。遠い八王子の地まで、よくいらっしゃいました。諸君たちの希望あふれる未来を祝福しつつ、少々懇談的にお話をさせていただきたいと思います。(拍手)
 この創価大学がある八王子という地域の名称には、さまざまな歴史的な意味が込められておりますが、読んで字のごとく”八人の王子”という意味にもとれます。仏法においては「八とは色心を妙法と開くなり」と説かれているように、もともと、八は「開く」意味があるとされております。さらに八とは「多い」という意味であるともされている。したがって私は、こうした観点に立って、妙法の広宣流布の王子、王女たちが喜々として大勢集い、そこからまた、未来世紀に向かって雄飛していく――このような意味にとっていただきたいと思います。
 日蓮大聖人の仏法は、いまや世界八十数か国にまで流布しております。大聖人の仰せどおり、仏法がこのように世界宗教としての広がりをみせ、世界の人々から期待されるようになったのも、ひとえにどんな大難があっても、大聖人の仰せどおりに実践してきた初代会長の牧口常三郎先生、第二代会長の戸田城聖先生がおられたからです。このお二人の先生がおられたがゆえに、今日の広宣流布の盤石な基盤も、平和・文化運動の偉大なる足跡も達成されたわけであります。諸君は、この一点だけは生涯にわたって忘れてはなりません。
2  ご承知のとおり、私は、第二代会長戸田城聖先生の弟子であります。皆さん方は、私の弟子であります。そこで私は、私自身の少年時代小学校五年、六年生のころの思い出をとおして、未来を担う皆さん方への指針としておきたい。
 第一に私は、たいへんに貧しい家庭に育ったということです。そして第二には、兄弟も多かったがゆえに、教育も満足にうけられるような状態ではなかったということです。さらに私は、少年時代から健康がすぐれず、非常に体が弱かったのです。いうなれば、今日の晴れやかな総会に集った諸君たちよりも、はるかに恵まれない境遇のなかにおかれていました。当時の時代状況、社会環境からみても、皆さん方はたいへんに幸せであると思う。
 しかし私は、そうした逆境のなかにあっても、一つの信念をもっておりました。それは”一生のうちになにか社会に貢献していく自分になりたい”という心からの念願だったのです。これが私の人生を貫くすべてであるといっても過言ではありません。
 私のそのような願いも、第二代会長の戸田城聖先生との出会いをとおして、実っていったわけです。戸田先生との出会いは十九歳のときでした。以来、私は、戸田先生の指導どおり、その期待に応えようと一生懸命、戦ってまいりました。この八月二十四日で入信満三十年を迎えるわけですが、この三十年間は文字どおり広宣流布のために走り続けたというのが、私自身の実感であります。
 その結果、諸君たちのお父さん、お母さんの努力と真心の応援をいただきながら、総本山には平和の殿堂としての正本堂を建立することができました。そして、平和と文化を推進する英知の人材を輩出しゆく創価大学も見事に建設することができ、民主音楽協会(民音)もつくることができました。このほか、創価学会を母体にして数々の機関も誕生し、その一切が平和・文化運動を推進しております。
3  もっとも恵まれない境遇のなかにおいて、また体の弱い少年時代を過ごした一人の人間が、戸田城聖先生という一人の偉大な指導者に巡り会ったことと、偉大なる御本尊を受持したということにおいて、これだけの仕事もできたわけであります。
 どうか、こうした意味からも、皆さん方もまた”一生涯、御本尊を離さない””一生涯、創価学会と離れない”という強い信念で生きぬいていただきたいのであります。そして、一生涯のあいだに、自分として、これだけのことは、広宣流布のため、社会のために尽くしてみせる――との決心だけは忘れないで、あとは伸びのびと、健康第一に、いつも愉快に、希望の未来に進んでいっていただきたい。
 お父さん、お母さんに、くれぐれもよろしく――。

1
1