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銚子支部結成15周年記念勤行会 妙法の灯台を永遠に消すな

1977.6.26 「広布第二章の指針」第10巻

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1  この銚子市犬吠埼は、いまから十七年前の昭和三十五年七月に、創価学会後継者育成のための訓練を行った懐かしい歴史の大地である。水溜会と称した当時のメンバーは、いまでは、そのほとんどの人が広布の使命を担った大人材となり、社会の各分野で活躍している。
 こうした意味からも、この銚子の天地は、私にとっても思い出の一コマを刻んだ有縁の郷土であり、非常に愛着深いものがある。
 十七年前のあのとき、親しく対話した地元の方々も、いまでは地元の指導者となり、あるいは社会の名士となって活躍されていると聞く。まことに慶賀にたえない心境である。
 どうか皆さん方は、銚子支部結成十五周年を期して、次は二十周年をめざし、明るく進んでいっていただきたい。仲良く、粘り強く、また朗らかに、けっしてあせることなく、ともどもに胸を張って、信心の人生――最高の幸せの人生の遠征を開始していかれるよう、心から願ってやまない。
 私どもの仏道修行は、信心即生活、仏法即社会のリズムにのっとったものであり、その振る舞いは、最高の良識行動へと深化していかなければならない。その良識行動が、地域の人々からの信頼と尊敬をかちとっていくこともまた当然の帰結である。このようにわが創価学会は、地域主義に深く根ざし、その地域の発展に貢献しながら、進んでいくのである。
 この意味からも、独善的な非常識は絶対に許されない時代に入ったことを深く銘記して、どこまでも地道な信仰を貫き、豊かな仏法者としての常識の発露をもって、地域広布の盤石な礎を築き上げていっていただきたい。
2  最後に、これまで何度か確認しあってきた「開目抄」の一節を拝し、佳き日の記念としておきたい。
 「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし
 この「開目抄」の一文に、私どもの信仰の原点が凝結されているといってよい。とくに「疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」の一節を、深くわが生命に刻み、環境に紛動されるような弱い生き方ではなく、なにがあっても御本尊根本の確固たる信念の人生を、生涯にわたって歩んでいかれるよう願ってやまない。
 粘り強く、そして忍耐強く、幸せの山頂をめざしていく――これが信心の真髄であることを互いに確認しあいながら、晴れがましく、広布第二章のスタートを飾っていただきたい。
 「疑う心なく」とは、あくまでも御本尊に対する姿勢であり、信仰というものの原点の姿勢である。したがって、社記悪に対しては、当然のことながら、人間としての正義のうえから、鋭くそれを見ぬいていくべきであり、皆さん方一人ひとりが、この聡明にして常識豊かに行動しゆく、仏法英知の灯台の存在となっていってほしい。この意味においても”妙法の灯台を永遠に消すな”と申し上げておきたい。
 ともかく、この銚子会館を中心に、ますます健康に留意し、きょうからまた、希望にあふれて、地域の繁栄のために一歩成長の歴史を残していっていただきたい。(要旨)

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