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日蓮大聖人・池田大作

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浜松支部結成21周年記念勤行会 社会に深く信用の実証を

1977.6.18 「広布第二章の指針」第10巻

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1  皆さん方の真心あふれる尽力によって、この遠州圏も盤石なる広宣流布の基盤を築くことができ、まことに慶賀にたえない。仏法の法理に照らし、この功徳は無量無辺に輝きわたっていくことを確信していただきたい。
 この次は、浜松支部結成二十五周年、その次は三十周年というように、五年、ことに大きな希望の目標を定め、それぞれ未来発展の節を刻みながら、ともどもに新たな広布第二楽章の前進を開始していかれるよう、心から願ってやまない。
2  浜松支部結成二十一周年を記念して「四条金吾殿御返事」の一節を拝したい。
 「仏法と申すは道理なり道理と申すは主に勝つ物なりいかに・いとをしはなれじと思うなれども死しぬれば・かひなし・いかに所領を・をししと・をぼすとも死しては他人の物、すでに・さかへて年久し・すこしも惜む事なかれ、又さきざき申すがごとく・さきざきよりも百千万億倍・御用心あるべし
 「仏法と申すは道理なり」――道理とは、人間としての道理であり、人間の正しいいき方ということである。仏法は、この人間として生きぬくべき正しい道理を教え、また、その道理を裏づける生命の哲理を究めたものである。
 したがって、われわれが信心しているということも、たんなる観念的な領域で終わるものであっては准らない。御本尊の偉大なる仏力、法力というものを、生活のうえに事実として現していくことじたいが信心であリ、これが仏法の正義を証明するいき方であることを忘れてはならない。
 仏法の道理は、即人間の正道であるがゆえに、それは社会万般に通ずるものである。この一点にも、仏法の根本精神に迷い、道理を踏みはずして形式や権威によって民衆の良心を抑圧してきた、これまでの多くの既成宗教との根本的な違いがある。仏法はどこまでも道理を重んじ、非道を排する。ゆえにわれわれの実践もまた、どこまでも豊かな常識第一を旨とし、社会の規範を深くわきまえた行動でなければならないのである。
 「道理と申すは主に勝つ物なり」――「主」とは、今ロにおいては”社会”ということである。そして、「主に勝つ」とは、社会の信用を積んでいくことである。だれからも慕われ、尊敬されるいき方が、社会に勝ったことになる。一人ひとりがこの確たる実証者であっていただきたい。
 「いかにいとをし、はなれじと思うめなれども、死しぬればかひなし」うんぬん――この個所は、現世の幸せにのみとらわれる人間の執着心に対する厳しい戒めと拝する。すでに申し上げたように、この世で、勝利の実証を示すことが大事であるが、いかに多くの財産を残し、また地位ある立場を築いたとしても、来世までもっていくことはできないことも事実である。したがって、目先の幸せのみを追うのは、人間としての道理にかなわない。
 もっとも大事なことは、永遠の妙法に生きぬくことによって、自らの生命に福運を積んでいくことであり、子孫の代にまで妙法の薫風を送りゆくことである。日蓮大聖人は、このためにも、今世におけるさまざまな執着心を、信心を貫くという一点において、毅然として乗り越えていくよう、ご指南されているのである。
 「すでにさかへて年久し」とは、まさしく支部結成二十一周年を迎え、広宣流布の”さかへ”に巡りあわせた皆さん方の立場にもあたるであろう。しかし「すこしも惜しむ事なかれ」とおおせである。すなわち、信心、仏道修行においては、けっして”これでいい”と油断することなく、求道心厚き仏法者となっていくよう指導されているわけである。
 人間は皆、強いようで弱い存在である。だからこそ、その弱い自己を鍛え、人間革命しゆくために学会があることを忘れず、この尊い和合の組織とともに、一生成仏の大道をまっすぐに進んでいかれるよう念願してやまない。
 互いに仲良く、手と手をとりあって激励しあい、また指導しあいながら、ともどもに創価家族としての和楽の前進をはかっていかれるよう期待してやまない。
 本日参集の皆さん方が”健康になろう””一家を繁栄させよう””同志を守り支えよう””折伏弘教の功徳を無量に開こう”と祈りぬき、生涯青春の心意気で、広布第二楽章の出発をしていっていただきたい。(要旨)

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