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日蓮大聖人・池田大作

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北九州創価学会結成17周年記念勤行会 朗らかに余裕ある信心即生活を

1977.5.23 「広布第二章の指針」第10巻

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1  末法は「闘諍言訟」といわれるように、人間を不幸に陥れる争乱、卑劣な、いわれなき中傷、非難が絶えない。しかし、そうしたなかにあって、われわれは、一貫して人間の幸福のために戦ってきた。すべては、御本尊を根本とする異体同心の戦であり、日蓮大聖人のご生命を映す御書のとおりの実践であった。ゆえに御本仏ならびに三世十方の諸仏の称賛をこうむることは、法理に照らして間違いない。
2  今日、学会は、地涌の菩薩である人材群が雲集し、堅実な広宣流布の伸展の様相を示している。一人ひとりにとって、環境は盤石に整えられたといえる。
 時の流れ、地の利、人の和という道理のうえからも、これからは一人ひとりが常識豊かに、日々の信心即生活のリズムを楽しみながら、余裕あるなかにも聡明な活動を展開していくことが、妙法広宣の根本の姿勢であることを銘記していただきたい。
3  現代にいたるあまたの既成宗教が、なぜ民衆と遊離し、宗教本来の使命を社会のなかに昇華することができなかったのか――その理由は、端的にいって宗教が伝統と権威におぼれて、民衆を従属させようとしてきたことにある。すなわち、民衆の側に立ってみるならば、その宗教のためにささげなければならないとする、一方通行的な上下の関係であったことである。
 それに対し、われわれのいき方は、どこまでも御本尊と民衆一人ひとりの直結に、最大の特質がある。各人にとっては”自分の幸福のための信仰”であり、その実践が志向するところのものは、広宣流布という人類への貢献につながった、もっとも清らかな使命感に根ざしたものである。しかも、自分たちの地域を自分たちの手で守り、繁栄させていこうと、公平かつ平等の立場で、仏国土の建設をめざしている。
 この御本尊を根本にして、全体をよくしていこうとする異体のスクラムによる同心の世界――これがご仏智によってできた和合僧であるゆえに、栄光の歩みが確立されたのである。
4  多くの識者が指摘しているとおり、既成宗教には、もはや悩める民衆を救う力はない。そのいき方が、醜い権力との癒着であったり、保身のために平然と民衆を欺く堕落の極みにあることは、これまた多くの事実によって示されているところである。
 われわれの歩みは、人間として無作の歩みであり、それは仏法による人間の、真実のめざめの歩みともいえる。それゆえにこそ、既成宗教の権威と欺隔性に長く毒されてきた人間社会を、根本の生命的次元から覚醒させることができるのである。
 時代は、ますます乱世の様相を深めていく傾向にあるが、皆さん方は、さらに信念に徹し、重層的かつ柔軟性と立体性を兼ね備えた振る舞いで、新時代の先駆をきっていただきたい。
 われわれの次の目的は、二十一世紀である。ここに一切の照準を定めて悠々と進んでいこう。それまではいかなることがあっても、絶対にたじろぐことのない、強靭な信仰の持続であってほしい。
 そのためにも”題目の電流”を切ってはならない。「法華経を信ずる心強きを名づけて仏界と為す」で、題目第一で進んでいくならば、いかなる苦境も変毒為薬できるのである。また、こうしたその忍耐強い努力を持続するならば、加速的に開花されていく時代となっていることを知っていただきたい。
 とくに年配者は健康第一で、けっして無理をすることなく、体を十分に自愛しながら進んでいただきたい。(要旨)

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