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日蓮大聖人・池田大作

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会長就任17周年記念表彰式 生命の福運の勲章を万代に

1977.5.1 「広布第二章の指針」第10巻

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1  晴れがましく、記念表彰の栄誉に浴された全国の功労者の皆さん方に、心から”おめでとう”と申し上げたい。表彰と名のつくものは、一般世間においても、ひとつの儀式として数多く行われてきている。しかし、これまでも大勢の識者から指摘されているとおり、それらの多くは、時とともに色あせていく名聞名利の表彰ということができよう。
 これに対して、皆さん方に対する表彰は、御本仏日蓮大聖人の三世通暁の法理にのっとって行われるものであり、もったいなくも日蓮大聖人、三世十方の仏菩薩から称賛されるのと同じ意義を有することを確信していただきたいのである。
 いうまでもなく学会の表彰は、この世で、だれびともなしえなかった不幸な友の救済と、人間革命運動を推進してきた、もっとも尊い功労者に贈られるものである。したがって、わが学会の表彰こそ、まさしく”生命の勲章”ともいえるものであり、後世に顕彰されゆくもっとも名誉ある福運の象徴であることを、ともどもに銘記しあっていきたい。
2  四月十八日付から聖教新聞紙上に六回にわたって連載した「生死一大事血脈抄」の講義は、私にとって”生命の遺言”ともなるものである。
 そのなかでも縷々論じたように、広宣流布の運動に連なる私どもは、生死一大事血脈の生命に生きているのである。御本仏に直結した信心の血脈に生きる皆さんは、この世の人生を最大に満足しぬいていく、その資格を有している。このことに最大の誇りと自信をもっていただきたい。
 人生でもっとも重要なことは、その人の最終章がどうであったかにある。いくら名誉ある勲章を受けても、地獄のような苦しみの姿で人生の終焉を迎えたとしたら、結果として不幸な人生といわざるをえない。
 それに対し、私どもは、無名の庶民とはいえ、正義の仏法流布のため、真実の民衆救済のために、日夜、健闘し、日本、世界の平和を祈願している。この波動が、子孫末代の人々にまであまねく編運をもって潤していく、もっとも尊い生き方なのである。
 社会、世間の諸事象には、矛盾に満ちていることはたくさんある。しかし、われわれは仏法の次元から鋭くそれらを通観しつつ、あくまでも”人間”を原点として、自分の永遠の幸福、成仏、福運を約束された仏法の法理を確信して生きぬいていくことが肝要である。この意味からも、大聖人のご照覧を確信していこう。
 ひとくちに”御本尊”あるいは”信心”といっても、具体的にその法理を、事実のうえでどうとらえ、実践しているかが大事である。仏法は観念的な抽象論ではない。すなわち、信行学にわたって、日蓮大聖人のご遺命、御書をそのまま把握したうえで、正しく実践しているかどうかに、重大な問題がある。
 ゆえに真実の仏道修行は、大聖人のご遺命である広宣流布のために、事実のうえで活躍している創価学会の活動をする以外にない、と申し上げておきたい。
 広布の草創期を戦いぬき、創価学会を支えてきた皆さん方の尊い行動は即、御本尊を守り支えたことに通ずる。
 反対に創価学会を中傷、批判した場合には、即、御本尊への中傷、批判につながっていく。これが”生死一大事血脈”の極理の一面であることを知っていただきたい。
 五月三日は創価学会にとって”元初の日”ともいうべき意義を有する。この五月三日を軸に前後一週間、記念行事を開催する。
 この期間を、各地域、家庭にあって福運昇華の日々ともして、また、思うぞんぶんに楽しい、朗らかな思い出を生命に刻む期間としていってほしい。
 なかんずく、広宣流布の仲展に貢献した功労者である皆さんは、今後も、身近なところで学会を支える運動を地道に進め、次代の広布を担う人材の育成を続けてほしい。そして私とともに、二十一世紀に向かって確固たる目標を定めて、祈り、生きて生きて生きぬいていただきたい。(要旨)

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