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第1回岐阜県男子部記念集会 わが門下生よ、21世紀を頼む

1977.4.29 「広布第二章の指針」第10巻

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1  創価学会の運動は、犠牲なき運動である。各人が自らの使命に生きぬき、それぞれの個性を最大限に発揮しながら、この世の人生を最高に意義あらしめるための運動といってもよい。
 これに対して、他の革命運動というものは、いままでもそうであったように、民衆は醜い利害と葛藤がつきまとい、つねに犠牲を強いられてきたのが否定できない事実である。
 しかし、創価学会の運動はそうではない。自分の一生成仏はもとより、子孫のため、先祖のため、さらには全世界の平和につながる運動なのである。ゆえに勇気ある信心が必要であることを強調しておきたい。
2  いまから二十五年前の七百年祭には、全国から四千余人の代表が総本山に集った。この人たちが貧困と戦い、さまざまな紆余曲折を歩みながらも今日においては、客観的にも”さすがに学会員である””よく成長したな”といわれるような人生を送っている。
 また昭和二十九年の十月には、総本山に一万人の青年部員が集会を開いた。当時のこれらの人たちが、本日、東京、関西をはじめ各地で行われている”草創の集い”に喜々として参集しているのである。それぞれの立場で広布を支え、学会精神を堅持してきた尊い功労者の晴れ姿といってよい。
3  こうした輝かしい学会の歴史と伝統からも、本日、参集した岐阜の青年部記念集会にも、深い未来大成への本因の意義が込められていることを知ってほしい。
 ここに集まった岐阜の男子部二千人は、全部、私の門下生である。今後、岐阜の地を離れて活躍する人もいようし、さまざまな人生模様を描きながら進んでいくだろう。
 ただ、諸君に申し上げたいことは、いかなる環境になろうとも、学会とともに歩む姿勢だけは堅持してほしいことである。どこにあっても、つねに堂々と、男らしく太陽に向かって進む人生であってもらいたい。
 そして、きょうの集いを出発点とし、再び成長した姿で集い、二十一世紀をめざして生きぬいていく誓いの日としていただきたい。
 「須弥山に近づく鳥は金色となる」とおおせのように、学会とともに進む姿が即、御本尊につながっているのであり、そのとき自らの人生を金色に輝かせていけるのだと深く確信して、この厳しい現実を一歩一歩のり越えていってほしい。
 御書には「南無妙法蓮華経と唱え奉るは大風の吹くが如くなり」とある。世界は、ますます暗く厳しくなるかもしれない。しかし、諸君は、一切の不幸を力強い題目で吹き飛ばしてほしい。この題目以外に、末法の宿命転換はできないのである。
 このためにも御書をよく読み、善きにつけ悪しきにつけても、仏法守護の信念に徹しながら、一家一族に、わが友に勇気と確信を与えゆく存在となってもらいたい。
4  私も、かつては男子部の第一部隊長として活躍してきた。また蒲田支部の幹事、文京支部の支部長代理としても広布の指揮をとってきた。
 私は、そのつど”日本一の部隊をつくろう””つねに一番の支部をつくろう”を信念として戦い、事実そのとおりの実証を残してきた。また男子部の輸送班(現在の創価班)も、青年部全体のことも”第一になろう”との不変の信念で尽力してきた。男子部にはそれだけの根性がなければならない。
 こうした意味からも、どうか岐阜の男子部諸君は、壮年部を支え、婦人部、女子部をナイトの精神で守りつつ、職場においては深く信頼の根を張り、全国の同志に”岐阜の男子部ここにあり”との姿を事実のうえで証明していただきたい。
5  近くは学会創立五十周年、そして二十一世紀に一切の目標を定めて、仲良く常識豊かにスクラム組んで前進していこう。
 ”岐阜が立ったか、あの凛々しい姿はさすがである”――こういわれるような、なんらかの波動をつくりつつ、二十一世紀こそわれらの人生のゴールとも決め、一日一日を地道に、また確実に勝利しながら、もっとも有意義な青春時代を送っていくよう、心から念願してやまない。(要旨)

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