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日蓮大聖人・池田大作

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中部文化会館開館記念勤行会 御本尊根本に慈折広布へ

1977.4.27 「広布第二章の指針」第10巻

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1  この中部文化会館に御安置申し上げた御本尊は、創価学会の生命ともいえる「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の重要な御本尊である。学会は、昭和二十六年五月に賜ったこの本部常住の御本尊を一切の原点とし、全国に折伏、弘教の波を起こし、広宣流布の盤石なる基盤をつくってきたのである。
 学会の重宝中の重宝であるこの御本尊を、なぜ中部の地に御遷座申し上げたのかという理由の一つは、中部の皆さん方は先師牧口初代会長を当地に迎えていない。また、恩師戸田前会長も中部の地を訪れてはいるが、それほど足しげく通われてはいないということにある。
 私自身、これまで東京、大阪間等はいくたびも往復し、指導の旅を続けてきた。しかし、たいへん申しわけない気持ちであるが、中部では一人ひとりとヒザを交えて語り、各地域にも馳せ参じて大切なわが同志への激励にあたるという点で、少なからず心残りをいだいている。私のそうした心境や歴史的な意義を含め、中部の同志には、これから創価学会の真実の歴史をつくってさしあげたい――との発露から、本部常住の御本尊を御安置申し上げたのである。
 仏法は抽象論でもなければ観念論でもない。現実に即した事実の証明こそ、仏法の真髄である。この観点からも「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の御本尊を、いま厳然と中部の地に迎えた事実は、洋々と開かれゆく中部創価学会の未来を決定づける本因の儀式であると確信してやまない。と同時に、中部の同志に対する万感の思いを込めてこの日を迎えた私の心情を、事実のうえで知っていただきたい。
 御本仏日蓮大聖人の御金言どおりに広宣流布に向かった場合、いわゆる三障四魔等の出来は必然であり、事実として学会の歴史は、この御金言を証明するものであった。その苦渋に耐え、風雪の坂道を忍耐強く前進してきたわが共戦の友の姿は、私は生涯にわたって忘れることはないだろう。
 こうした意味からも、二十一世紀に向かう皆さん方が、どこまでも慈折広布の御本尊を根本に、一切の障魔をふり払いつつ、妙法に潤う裕福な人生、愉快な生活の醍醐味を満喫していってほしいと心から念願してやまない。
 仏法の極理は「難即悟達」「煩悩即菩提」にあるといってよい。時代、社会がどのように変わろうとも、また環境がどう変化しようとも、御本尊に祈りきっていくことを最第一とし、一切の事象をよりよく転じていく強盛なる信心を貫いてほしい。
 この意味からも、私の魂であり、生命の遺言ともいうべき「生死一大事血脈抄講義」を読みきって、皆さん方の新しい人生の門出ともしていくよう願ってやまない。
 本日参集の皆さん方ならびに中部の全同志は、二十一世紀、すなわち創価学会創立七十周年にあたる西暦二〇〇〇年をめざして、晴れがましく先頭をきって、その佳き日を迎えていただきたい。
 そのためにも体を大切にし、生きて生きて生きぬいて、ついに人間革命の陽出ずる世紀を仰いだ――といわれるような堅塁・中部であってほしい。
 大中部の名実ともの夜明け――栄光と福運の歴史構築のため、私も祈りに祈っていきたい。皆さん方も、ともどもにこの尊い人生の歴史を刻み、前進していっていただきたい。(要旨)

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