Nichiren・Ikeda
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創刊10周年に寄せて
寄稿
1977.4.9 「広布第二章の指針」第10巻
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1 小・中学生文化新聞の創刊十周年、ほんとうにおめでとう。
ゼロ歳から年月を刻み、ちょうど十歳――新聞も名実ともに、皆さんの仲間入りをしたことになります。早いもので創刊号を手にした皆さんの先輩は、すでに社会の荒波のなかで、あるいは大学のキャンパスで、見事に活躍しております。創価学会のたくましい後継の士として使命の庭で、思うぞんぶん自身をみがいております。
2 広宣流布は、世代から世代へと受け継がれていくべき尊い大事業ともいえましよう。
初代会長牧口常三郎先生から二代会長戸田城聖先生へ、そして戸田先生から私をはじめ皆さんのお父さん、お母さんへと渡されてきたバトンを、こんどは、皆さんに託します。その流れは、はじめは山々をぬう渓流でありましたが、谷を下り野を渡って、いまや民衆の大河になっています。
次の十年――小・中学生文化新聞が、二十歳の、すずやかで、そして可能性に満ちた若者に育つときが、いまから楽しみでなりません。なぜなら私は、現在の皆さんがどのように育ち、伸びゆくかを思い浮かべるからです。十年後が待ち遠しい気持ちです。
仏法では”時”を重要視します。人生にも”時”が大切です。少年、少女の時代は、自分自身を鍛え、精神の骨格と人生の土台を築く時です。
たとえていうならば、ちょうど宇宙ロケットが月をめざして軌道を進み始めた時にあたるでしょう。この時期の軌道の誤差は、あまり目立たなくとも、十年、二十年後には大きなズレとなっていくものです。
ゆえに皆さんは、ときには軌道を踏みはずすことがあっても、つねによい方向へ、よい方向へと軌道を修正しながら、一日一日を楽しく送ってください。
牧口先生は十四歳のころに、故郷の新潟県荒浜から広大な原野の北海道へと旅立ち、求めて自らを訓練しました。使い走りやお茶くみをしながら、やがて小学校卒というハンディを乗り越えて、現在の大学へ進む力を養っています。
戸田先生は、北海凍る厚田の寒村で、貧苦のなかに育ちました。四歳のとき、すぐ上の兄が家庭の事情で進学できないことを知り、小さな心を悲しみで満たしたりしている。その兄も若くして亡くなり、さかまく鉛色の日本海からの烈風をうけながら、年老いた両親のめんどうを見続けたのです。時がきて、戸田先生は上京し、牧口先生を師とするにいたりますが、私は、そのときの恩師の心境を思い、一編の詩につづったものです。
厚田の故郷 忘れじと
北風つつみて 美少年
無名の地より 世のために
長途の旅や 馬上行
敢然と北風に立ち向かって、人生という長途の旅に、皆さんもいま出発しようとしているのです。
私自身も、本格的に自己をみがいたのは、戸田先生を知り、仏法の道に入ってからですが、少年の日の苦楽を越えた心の燃焼は、今日まで私の心を貫いております。
皆さんにも楽しい日もあるだろう。苦しい日もあるだろう。しかし、それらを乗り越えて十年後、二十年後をめざして、自分を鍛えぬいた事実こそが、崩れぬ人生の大樹に刻む年輪となるのです。
少年・少女部、中等部で訓練をうけた皆さんの日々は、この小・中学生文化新聞に、かけがえのない日記帳として記録されていくでしょう。皆さんは、この新聞とともに、学会っ子らしく明るく伸びやかに、後継の人材として成長していってください。私にはそれだけが、ただ一つの楽しみなのです。
健康に気をつけて、どうかお元気で――。