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創価大学第7回入学式――記念講演 知識を鋭く求めぬく努力を

1977.4.8 「広布第二章の指針」第10巻

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1  晴れて創価大学の門をくぐる若き俊英諸君の前途を、私は無量の思いをこめて心より祝福申し上げるものであります。たいへんにおめでとうございました。(大拍手)
 どうか、この尊い青春時代の四年間を、勉学にサークル活動に、そして教授の方々や学友との交流にと、ぞんぶんに満喫し、意義深い人生の一つの節としていただきたい。
 また、高松学長をはじめ諸先生方におかれましては、可能性の宝庫ともいうべき多くの若い魂を、あらゆる面であたたかく、また厳しくはぐくんでいってくださるよう、この席をお借りしまして、衷心よりお願い申し上げます。
2  逆境こそ”創造の母”
 さて諸君は、入試という一つの関門を突破してまいりました。その諸君の期待に水をさすつもりは毛頭ありませんが、私がここでもっとも強調しておきたいことは、人生、いかたる世界にあっても、浮沈がつきものであるという冷厳なる現実であります。早い話が、入試ひとつ取り上げてみても、諸君は努力のかいあって、首尾よく合格の栄冠を勝ちとることができましたが、その半面、諸君の何倍かの青年たちが、無念の涙をのんでおります。私は、この青年たちがそれにくじけることなく、たくましく立ち上がってくれているであろうことを、信じてやみません。
 また諸君たちも、入試を突破したからといって、人生のコースがこれで決まったわけではけっしてない。それどころか、今後数十年の長い人生行路には、入試以上の難関がいつも待ち構えているという事実であります。いまだに一部では、一流大学から一流企業へという、いわゆる”エリートコース”が金科玉条とされている。そのあまり、一流大学に入ることがすべてであるかのような風潮がみられるようでありますが、非常に愚かであるといわざるをえません。
 人生は、そのような甘いものではけっしてない。大学時代はもとより、実社会の荒波と戦っていく過程にあっては、良いときもあれば悪いときもかならずあります。良いときは良いときで、その順境におぼれることなく、しっかりと足元を固めていくのが賢明な生き方であります。悪ければ悪いなりに、簡単に悲観したり絶望せず、逆境に棹さして、前へ前へと進んでいく発条が必要とされています。
 先日、たまたまテレビから流れてくるある野球解説者の言葉を耳にしました。現役時代は一流投手として知られた人であります。
 その人がいうには、投手が一流であるかどうかは、調子の悪いときにどのようなピッチングをするかにかかっているというのであります。
 好調のときは、だれでも良いピッチングをすることができる。しかし、ひとたび不調になったとき、二流、三流の投手はもろくも崩れ去ってしまうが、一流といわれる人は、自分なりの努力と工夫によって一定の投球水準というものを持続し、そのなかで再び、好調の波をつかむというのであります。
 私はこの話には、人生万般に通ずる一つの真実があるように思いました。かけがえのない諸君の青春時代は、少しぐらいの波に翻弄される木の葉のような、二流、三流の生き方であってはけっしてならない。
 過去を振り返ってみても、かの宗教革命で有名なルターが、画期的な「聖書」の翻訳作業を成し遂げたのは、隠棲の地であったワルトブルク山上の城の中であります。レーニンが、名著「ロシアにおける資本主義の発達」を書いたのは、なんと流刑地シベリアでありました。また中国革命の原動力となった毛沢東の「矛盾論」「実践論」も、僻地・延安の洞窟の中から生まれたのであります。
 このように逆境は、ときに順境以上に”創造の母”となっていることを忘れないでいただきたい。順境であれ逆境であれ、ようするに、それを受け止める自分自身という主体の側の姿勢にかかっているのです。
 私が過去数回、新入生の諸君に”創造的生命””創造的人間”たることの重要性を申し上げてきたのも、そのためにほかなりません。どうか諸君は、順境に流されず、逆境にくじけず、スランプであればあるほど、そこから不死鳥のごとくよみがえる、強靱なる英知と生命力の主体を築いていっていただきたい。
3  原点を問い直す現代社会
 話は若干変わりますが、最近、興味深い一つの論調を耳にしました。それは、現代社会の動向を巨視的にながめてみると、ハウ(How)の時代から、ホワイ(Why)、もしくはホワット(What)の時代へと、移り変わりつつあるということであります。
 どういうことかといいますと”ハウ”の時代とは、人間の生き方や社会の動向が何をめざしているのかという、その目的そのものが、疑う余地のない、自明の前提とされている時代のことであります。さきほど申し上げましたように、一流大学から一流企業、官庁へという人生コースが最高の目的であるとして、なんの疑いもさしはさまないような時代が、それにあたります。
 たしかにわが国の高度成長が喧伝された時代は、そのような風潮が、大きく社会をおおっていました。その背景には”GNP大国”になることを至上目的として追い続けてきた社会そのもののあり方が、横たわっていたことはいうまでもありません。
 こうした時代にあっては、目的それじたいの是非を問うことなく、その目的に、いかにして早く、効果的に到達するかが、最大の関心事となってまいります。この”いかにして”が、文字どおり”ハウ”ということになるわけであります。
 したがって問題となるのは、一にも二にも効率であります。もっとも効率よく目的に到達する方法が、最大の価値とされるのであります。
 ところが、この数年来の社会の激動は、そのような安逸の夢を吹きとばしてしまったといえる。”GNP信仰”の挫折は、社会を”視界ゼロ”の濃霧のなかに巻き込み、人々の価値観を根底から揺さぶっております。すなわち、前提とされていた目的そのものが、自明の最高の価値であったのかどうかが、改めて問い直されているのが現代なのであります。
 そこで「なぜ大学へ入り、学ぶのか」「なんのために一流企業に入り”モーレツ社員”として働くのか」などの問いが問題となってくる。なぜ、なんのため――これを言い換えれば”ホワイ””ホワット”の時代ということができます。
 私はこのように、学ぶこと、働くこと、そしてより根底的に、生きることの意味を問い直す作業は、たいへんに価値があることだと思っております。なぜなら、それは、あらゆることの”原点”を問う作業であるからであります。この”原点”をぬきにした学問や仕事、また人生というものは、淡雪のようなはかない存在となってしまう。私はこうした思いを込めて、大学へ寄贈させていただいたブロンズ像に「英知を磨くは何のため君よそれを忘るるな」と記したのであります。
4  ”人間第一主義”の時代へ
 ところでその”原点”とは何か。結論していえば、私は”人間”そのものであると申し上げたい。
 明治以来の日本社会の近代化の過程を術轍してみれば、戦前までの社会は、軍事が先行して人間がその後からついていった。それに対し戦後二十数年間は、経済が先行して人間が二の次にされてきたという事実であります。その軌道の誤りが、わが国を抜きさしならぬ袋小路に追い込んだ現状をみれば、今後の日本社会は、あくまで人間を第一義とし、そこを”原点”として、あらゆるものを位置づけていくことが、焦眉の急務であると申し上げたい。
 大学教育の場も同様であります。”なぜ””なんのため”という”原点”への問いに、確たる回答を示しえないようでは、二十一世紀への道標を掲げることなど、不可能に近い。その意味からも私は、創価大学の建学のモットーである人間教育が、時代の流れとともに、ひときわ輝いていくであろうことを確信してやみません。
 仏法には「一大事」という哲理が説かれている。この言葉は、本来、仏法用語でありながら、広く一般世間でも使われております。たとえば、諸君が入学試験に受かるか落ちるかは一大事である。また大久保彦左衛門の口グセであった「天下の一大事!」、たしかにそれも一大事にはちがいありませんが、それが本来の仏法用語の意味であるとされますと、またそれこそ私には一大事なのであります。
 仏法の本義からすれば、一大事の”一”とは、現代風にいえば”原点”ということなのであります。人間が生きていくうえでの根本の指針である哲学の存在を意味している。
 一大事の”大”とは、原点より発して社会、自然、宇宙へと展開しゆく生命の拡大、知恵の発現をいうのであります。
 そして一大事の”事”とは、生命の拡大、知恵の発現といっても、観念の世界にとどまるものではなく、事実のうえに刻まれるということから”事”というのであります。
 したがって一大事の”大”や”事”は、われわれの精神面、物質面の転変しつづける活動の側面であるともいえるわけであります。その活動を支える主体が一大事の”一”である。すなわち、それが”原点となるのであります。
 私は仏法者でありますから、仏法の哲理のうえから申し上げましたが、学問であれ、思想、哲学であれ、かならずなんらかの”原点”から出発しているものであります。そしてそこには、角度こそ異なれ、人間への思いが込められているものなのであります。
 ともあれ、創価大学は、遊びの場でも、権威の場でもない。あくまでも真剣に学理を探究し、深化させていく人間の学舎であります。したがって真理、学理の探究に努力しない人は、建学の精神に反する人であります。そういう創大卒業生であってはならない。ともかく、多くの後輩たちに、社会にあって、人生にあって、肩身の狭い思いをさせていくよう瓶先輩にだけはなっていただきたくないのであります。
 最後に、諸君は私よりも三十歳以上も若い。二十一世紀には、四十歳代の働き盛りであります。この若き群像に、二十一世紀のリーダーシップを託したいというのが、私のせつたる念願であります。その意味においても、私はこれからも、陰ながらたびたび、諸君の激励のためにお邪魔するつもりであります。
 願わくはこの四年間が、知識を求めに求めぬいていく四年間でありますことを心からお祈り申し上げまして、私の話とさせていただきます。(大拍手)

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