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創価中学・高校第10回入学式――記念講… 苦楽分けあう生涯の盟友たれ

1977.4.9 「広布第二章の指針」第10巻

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1  桜花爛漫の本日、めでたく創価学園の門をくぐられた若き俊英の皆さんに、心よりお祝いを申し上げ、またきょうからいっそう英知をみがきゆかれるよう、皆さんの努力を期待するものであります。とともに、今日まで見事に、幾多の人生の辛酸をなめながらも、皆さん方を養育してくださったご父兄の方々に、心より御礼を申し上げます。
 また、学園の先生方には、今日までのご父兄の心労に報いるためにも、その期待にこたえて、次の時代を担いゆく使命をもった若き英知を、さらに見事にみがきあげていただきたいことを、私は心からお願い申し上げるものであります。
 さて、きょうの佳き日にあたりまして、私は、懇談的にいくつかのことをお話ししたいと思います。
2  強靭なる精神の鍛練
 まず第一には”強靱なる精神”を鍛えていただきたいということであります。平易な言葉でいえば、”強い根性”をもってほしいということです。
 今日の時代というものは、物質面からみればあらゆる面で恵まれている。ある意味では恵まれ過ぎているといっても過言ではないでしょう。したがって、一つのことを成し遂げ、一つのものを獲得するために、自らを励まし、鍛え、努力するということが、少なくなっているように思えるのであります。
 最近のニュース報道を見ていますと、目標を達成できずに挫折して青春のコースを自らゆがめたり、場合によっては自らの命を断つという青少年の話が、しばしば報じられております。私はそのような話を聞くと、まことに残念でならない。そこまで育てられた両親、家族の心中を思うと、胸の痛む思いをどうすることもできないのであります。
 しかしながら、そうした青少年の挫折の原因をたずねてみると、なぜこれぐらいのことで、と思われることがしばしばなのであります。成績が下がった、入学試験に落ちた、就職に失敗した等々、長い人生から考えるならば、こうしたことはいくらでもやり直しができ、挽回することができることであります。いやむしろ長い目でみれば、そういうことは成長の機会となり、人生の大樹に育つ年輪を刻みうるチャンスとさえいえる場合が多いのであります。
 私は、こうした話を聞くにつけ、学園の諸君は、なにものにも負けない強靱な精神を鍛えられんことを、切願するのであります。これらの青少年の話が出ると決まって、今日の社会がかかえている問題にその原因をもっていく人があります。もちろん社会、時代が悪いという側面もありますが、しかし、社会が悪いからといって挫折を当然としてはたらないと思う。社会悪をいくら指摘しても、それによって挫折が避けられるわけでもありませんし、人生の真の充実が得られるわけでもありません。
 ともかく「惰弱は青春の最大の敵」であります。皆さん方は、勇んで社会悪に挑戦していける自己の形成に、澤身の努力を続けて、この学園生活のうちにつくりあげていっていただきたいのであります。
3  豊かな感情の養成
 第二に”豊かな感情”を養っていただきたいということであります。
 現代はあまりにも殺伐としております。多くの識者が指摘している現代の”精神の砂漠化”は、今後もますます進んでいくにちがいない。
 諸君は、こうした時代の流れにけっして巻き込まれてはならない。それは不幸なことにも、人生に灰色の精神をもたらしてしまうからであります。むしろこういう時代、社会に対して豊かな潤いを与えていくことが、諸君の将来の使命の一つであります。ゆえに、あらゆるものを吸収できる若々しい頭脳をもった青春時代に、豊沃な精神の大地を耕してもらいたいのであります。
 では、精神の大地を耕して豊かな感情をつちかうにはどうすればいいか。人それぞれ、いろいろな方法があると思いますが、私はその重要な一つとして、読書ということを提案しておきたい。多くの書を読み、そこから思索を深めていただきたいのです。
 読書と思索は、青年にとって不可欠の精神の養分であり、偉大な自己を確立するための重要な柱であります。青年時代に読書しない人は、壮年になってからの敗北に通ずるといっても過言ではない。私も青年時代の多繁のなかで、一日になんとか一冊ずつ読もうと決意して、懸命に読んだことも、いまでは懐かしい青春の鼓大の思い出となっております。
 しかし、なかには時間がないという人がいるかもしれない。だが、時問というものはつくれば出てくるものです。私も青年時代はたいへんに多忙であった。しかしそのなかで、一冊また一冊と読み続けてきました。いまも読み続けていくよう努力しております。
 皆さんが、仮に一週間に一冊の本を読むとします。そうすれば、一年問に約五十冊読むことができます。こういう習慣の積み重ねを青春時代にしておけば、生涯の偉大な精神の財宝になっていくにちがいありません。
 伝記は偉大な先人の見事な生き方を教えてくれる。歴史の書は、人間社会の未来のあるべき姿について深い示唆を与えてくれると思う。また古今の文学は、青春について、人生について、そしてまた人間の心について、豊かな思索の大海を諸君の前に開いてくれるにちがいありません。こうした書物を土壌として、才能の芽は豊かに成長していくものであります。
 どのような大木も、硬いやせた大地では空高く伸びていくことはできません。しかし十分に養分をはらんだ大地であるならば、盤石の根を張り、たくましく高々とそびえていくことは間違いないのであります。
 どうか、諸君のなかに秘められた才能の芽が、将来、大樹となって、人々に見事な果実と快い安息の場を与えられるよう、この学園時代に、豊かな土壌をつくっていただきたいことを切望するものであります。
4  美しい友情の園たれ
 第三に、この学園を美しい”友情の園”としていただきたいということであります。最近の世相をみるにつけ、私がもっとも憂えていることの一つは、真の友情が失われてきているということです。学友とか級友とか、言葉としてはいろいろありますが、そこから友情というものが失われつつあるのが現代の状況ではないかと、心配しております。
 競争の時代にあって、友人はむしろ対立者となって冷淡な敵意が流れていることさえしばしばあるようです。世間においても、親友としてお互いに許しあった二人が、利害がからむと、とたんに敵対者となって憎みあうという悲しい姿も、しばしばみられるのであります。
 「友」という字は、語源的には「手と手をあい携え、互いに助けあう」ことを意味している。その本義からすれば、「友」という人間関係は喪失しつつあるのが悲しい現実のようです。しかし、この「友」という関係こそ、人間としてもっとも尊い姿だといえるのであります。
 仏法の言葉に「慈悲」という言葉がありますが、この「慈」と訳された言葉の原語は「メッター」であり、これは「友情」を意味するのであります。そしてこの「メッター」という言葉は、他の人に対して「幸福」と「平和」と「安楽」を念ずる気持ちを表しているということです。
 この心を、仏法ではもっとも尊いものとして論じているわけであります。ある経文のなかには「善友をもち、善友とともにいることが、仏道のすべてである」という意味のことを説いた一節もあります。
 また「慈悲」の「悲」という言葉は「呻き声をあげる」ことを意味する「カルナー」から訳されたもので、これは「他人の苦しみを聞いて、自分の心を痛める」という意味であります。すなわち、友の幸福を祈り、友の苦しみをわが苦しみとして、ともに分けあっていくことこそ、仏法の慈悲の精神であり、これを体現していくことこそ、真実の人間精神の極致であるといってもよいのであります。
 皆さん方は、この学園をこのような友情で満たしつつ、人生のきらめく思い出を刻んでいただきたい。そして、この友情を生涯、貫いていただきたい。
 最近はあまり使われないようでありますが、「盟友」という言葉があります。「固い約束を結んだ友人」「同志」という意味であります。
 どうか皆さん方は、皆さんの先輩が心をこめて歌った学園寮歌にもありますように、「英知をみがくは何のため」「人を愛すは何のため」「情熱燃やすは何のため」ということをお互いに忘れることなく、一生涯、手を携えて進んでいく盟友であっていただきたいのであります。
 ともかく私の願いは、諸君たちが、次の時代を担って立つ、力ある偉大な庶民のリーダーに成長していただきたいということ、ただそれのみであります。諸君たちが、大きく世界に雄飛する日を、私は一日千秋の思いで待っております。
 諸君たちの青春が、桜花爛漫の青春であることを心から祈ります。学園の先生方には、学園生の諸君が桜花爛漫の青春を誕歌できるように、どうか全魂のお力添えを重ねてお願い申し上げます。また父兄の方々には、どうかご安心してお子さんを、そして学園を見守っていただきたいことを申し上げ、私のお祝いの言葉とさせていただきます。
 本日はたいへんにおめでとうございました。(大拍手)

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