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日蓮大聖人・池田大作

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第1回女子部白蓮グループ総会 広布担う福運の王女に

1977.4.3 「広布第二章の指針」第10巻

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1  白蓮グループの使命を一言で申し上げるならば、御本尊を受持した大切なわが同志とわが広宣流布の法城を守り、みがきゆく先達の仏道修行者であっていただきたいということである。
 学会員はだれびとも、御本尊を受持した尊い”仏身”であり、偉大な地涌の菩薩である。人々の幸せのため、地域の繁栄のためにあらゆる困難と戦いながら、広布の伸展をめざして活躍をしている同志であり、仏法兄弟である。
 学会の本部、会館は、そうした地涌の友が集い、大聖人の仏法を純粋に求めあう法城であり、その仏道修行の”本城”を守り支えていくことは、仏法者として当然の道であることを知っていただきたい。
 選ばれた白蓮グループの皆さん方は、広布の未来を担う”福運の王女”として、また学会の未来を開きゆく先輩として、色心ともにその明確なる実証者になっていただきたい。
2  信心とは、けっして窮屈な思いをするようなものであってはならない。”信心してほんとうによかった。私はうれしい”と心から実感でき、日々、身近な生活を躍動させていくものであってこそ、信仰の本義にかなうのである。
 たとえば日常の勤行、唱題については御本尊の前で端坐して、親しくごあいさつ申し上げるような気持ちで、日々さわやかに、すっきりした勤行であることが大事である。
 ただし、限られた時間等の生活環境で、やむをえず五座三座のすべてができない場合もあるかもしれない。その場合、たとえ方便、自我偈、唱題であっても、さわやかな勤行であってほしい。
 ともかく、信心は強盛に勇気をもつことである。ただし、自分自身のおかれた環境に応じて、もっとも道理にかなった方法を聡明に見いだして”水の信心”をしていってください。
3  信心の功徳とは、端的に申し上げれば、「御義口伝」に「悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり」とあるとおり、”悪を滅し、善を生ずる”ことである。これは、自他ともに通ずることであり、相手の人の生命に内在する悪を滅し、善を生ぜしめることであり、それは即自分の生命の悪を滅し、善を生じさせていくことに通ずる。
 したがって、悩んでいる人のために信心指導したり、また仏法を求めてくる人を激励してあげる行そのものが、自分自身を無量の功徳につつむことになるのである。この強い確信に立った”実践”と”祈り”が、即身成仏を加速度的に進展させていくことを自覚されたい。
 末法の功徳は冥益である。草木が目に見えないうちにだんだんと茂っていくように、信心して十年、二十年、三十年と経って振り返ってみると、所願満足の自分自身となり、幸せへの確たる軌道に入っているのである。
 真実の幸福は、もっとも身近なところにある。ゆえに自分自身の生活のなかの小さな悩みを、一つひとつ御本尊に境智冥合した祈りで解決していくという着実な蓄積が、もつとも強靱な自己を築いていく直道であることを知ってほしい。
 幹部であるからといっても、人間である以上、悩みがあるのは当然であるし、なんら恥ずべきものではない。ともかく、どのような悩みがあっても、胸を張って淡々と乗り越えていく主体性ある青春であってもらいたい。
4  女子部時代に、より多くの思い出をつくり、福運の基礎を盤石にしていただきたい。
 皆さん方も、やがては結婚して家庭に入り、福運の人生を総仕上げしていかなければならない。いまは、その重要な人生の骨格を築く青春期であることを銘記し、けっして縁に紛動されないで、本末究竟して等しい信心の本流の人生を歩みきってほしい。
 太陽に向かう花は、生きいきと咲き薫っている。逆に日かげに育つ場合は、当然しおれてしまう。これと同じ方程式で、皆さん方もつねに陽光が燦々と降りそそぐ仏法の本道を晴れやかに歩み、福運の大輪を咲き薫らせていただきたい。(要旨)

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