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戸田第二代会長20回忌法要 報恩こそ人間真実の道

1977.4.2 「広布第二章の指針」第10巻

前後
1  恩師の法要に参加したということは、師恩に報ずることであり、報恩の誠を尽くした一つの実相である。どのような環境下にあろうとも、法要に馳せ参じて焼香、唱題申し上げる――この事実が、先師牧口初代会長、恩師戸田前会長に対する尊い報恩となるのである。
 仏法は抽象論でもなければ、観念論でもない。事実の行動そのものに、信心の結晶も仏法の昇華もあるということを申し上げておきたい。
 その意味からも、本日の二十回忌法要に参集した牧口門下生ならびに戸田門下の方々が、全国各地で厳粛に唱題、回向された姿は、真実の報恩の誠を尽くした事実を証明するものであり、その信心の果報、大福運は絶対に間違いなく、もう一歩進めていえば、一生成仏も疑いないということを、皆さん方は深く確信していただきたい。
 牧口初代会長は、いうまでもなく創価学会創設の父である。師弟不二の原理で、戸田前会長もまた、われわれの心に永遠に生きる学会再建の慈父であられる。この両会長をもっとも大切に尊ぶことは、人間として当然の道である。
 第五十九世堀日亨上人も、もしもこの両会長がおられなかったならば、今日の宗門の存在はない、とはっきり明言されているとおり、われわれは、この両会長によって御本尊の偉大さを知り、御書の深遠な哲理の展開を理解し、広宣流布という明確なる御本仏の精神に直結の世界で活躍できるのである。このことに最大の誇りをもち、また確信をもって、わが同志ならびに地域社会へのいっそうの貢献をお願いしたい。
2  ”教える”ということは、たしかにそれだけでは”理”であるかもしれない。しかし先師ならびに恩師は、その”教る”ことを、死身弘法という事実のうえに証明された。
 横暴な国家権力の桎梏にも屈せず、民衆を守らんがために獄中の身となることも潔しとされた。この事実こそ、最大に尊貴なものといえよう。
 そうであるがゆえに、今日、何百万人の青年が創価学会に雲集しえたのである。この源遠長流の根本精神が脈打つかぎり、学会はますます大発展しゆくことを明確に申し上げておきたい。
3  最後に、後世のために留言しておきたい。
 それは、われわれの最大の恩人である牧口初代会長、戸田前会長への報恩の信心を失い、学会を守る心がなくなった人は、もはや、その姿は”五老僧”であり「身はおちねども心おちる」不知恩の者といわざるをえない。
 どんな有名人になろうとも、いざという場合に、先師ならびに恩師の法要にも参集できない姿は、名聞名利に流された”忘恩の徒”であることを銘記してほしい。
 ご遺族をはじめ、本日、参列した皆さん方のますますの繁栄を心より祈り、あいさつとしたい。(要旨)

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