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第8回壮年部総会記念勤行会 平凡、常識のなかにこそ広布

1977.3.2 「広布第二章の指針」第10巻

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1  壮年部結成記念日を祝す第八回壮年部総会を迎えるにあたり、私も壮年部の一人として、まことに慶賀にたえない心境である。全国の壮年部諸氏に対し、心から、おめでとう、と申し上げたい。
 私は、つねづね、皆さんがた一人ひとりとひざを交え、仏法や広宣流布等について、じっくり語り合いたいと念願してきた。しかし、多繁な立場上、なかなかそういうわけにもいかず、残念でならない。ただ私としては、皆さんがた全会員が、日々健康で無事安穏であるよう、また信心の功徳を満喫しながら人生、生活を楽しみきっていかれることが最大唯一の願いであり、会長に就任以来、一貫してこの「毎自作是念」に徹してきたつもりである。私のこの心境は生涯不変であることを了解していただければ、これ以上の喜びはない。
2  信心は人生、生命の浄明鏡
 本来、信仰とは何か――。他宗教は別として、われらの信仰は”浄明鏡”とも名づけられる。すなわち、浄らかな明鏡によって、自分自身、そして人生、生命を明察していくための信仰である。社会、世界の現実は厳しい。また、生老病死、国家、社会の機構の矛盾等々、ありとあらゆる次元で、この人生には、即座に解決できない問題があまりにも多いといわざるをえない。
 われわれの信仰の原理は「信心即生活」「信心即社会」であるがゆえに、広宣流布という次元においては、人間革命を原点として、社会の変革をめざすことは当然である。しかし、まず重要なことは、主観視するならばわが生命、客観視するならば自身の生活を、一人ひとりが、もっとも大切にしていくことにあるということを知っていただきたい。
 人生、生命といっても、仏法の因果の理法に照らしていかなければ、真の意味でのそれを知ることはできない。たとえ、それぞれの分野に通達した名士といえども、究極的な成仏、宿命転換という問題だけは別である。努力によってある程度の向上はできたとしても、本源的な人間革命=成仏の道に到達することはできないのである。
 具体的にいえば、病気、家庭不和、子供の不良化、職場での人間関係等々、人生万般の問題に直面した場合、それを人間革命のほうへ向けていくか、それとも苦悩し翻弄されるか、挑戦はしても惰性、安逸、堕落へと向かうかで、幸、不幸の分岐点となってしまう。自分自身は、立派に災禍なく生きようとしても、人生には、不慮の事故など、客観的にどうしようもない問題がさまざまに起きてくる。ゆえに峻厳なる因果の法を究め、人生への英知を教える仏法が、不可欠のものとなってくるのである。
 私どもは、御本尊をたもち、仏法の因果の理法を知った。いかなる苦難があろうとも、御本尊を根本とし、南無妙法蓮華経と唱えきって、対決していくときには、おのずから、根本的な打開への方途が生命の因果の理法のうえで、見極められるのである。
 したがって、同じ人生の不幸、時代社会の厳しい現実に直面しても、私どもは、信仰の力によって、そこに、希望を生み、打開の方向へと向かうことができる。蘇生への力、勇気が湧き出していく。あらゆる人々を包容し、慈愛していく自分自身になっていけるのである。すなわち、一切の人生、生命の苦境を、福運、希望、蘇生、慈愛へと転換していける自分自身になっていけるということである。
 ここに、信心を人生、生命の浄明鏡とする意義がある。”汝自身を知れ”とのギリシャの名言があるが、それだけではいまだ観念の域といわざるをえない。われわれの信心は、事実のうえで、妙法という久遠元初以来の生命の法則にのっとって、自身を覚知して生きぬいていけるのである。どうか、その大確信に立った一人ひとりであっていただきたい。
3  仏法は道理、常識の哲学
 御書にも「仏法と申すは道理なり」と説かれているとおり、私どもの信仰の実践、仏法の指導は、一言にしていえば、人間としての道理に立った常識の哲学といえる。広宣流布という大目的に向かって前進してはいるものの、その行動はあくまでも、一社会人としての常識豊かな振る舞いが第一義であり、また一個の人間として、もっとも平凡にして堅実な歩みのなかで、地域、社会への貢献をめざしていくものである。
 したがって、われら信仰者の実践は、特別に派手なことをする必要もなければ、冒険する必要もない。どこまでも常識第一、良識第一の生き方であることを銘記されたい。
 不変の軌道を運行する太陽のごとく、もっとも偉大な影響力をもたらすものは、もっとも平凡にして、もっとも地道な実践の繰り返しのなかにある。私どもは、妙法という宇宙根源の法則を受持し、その確信を満々と胸中に秘めつつも、日常の生活、現実社会のなかにあっては、もっとも平凡にして常識豊かな行動を貫いていく――この地道な人生の歩みが、そのまま自分自身を変え、一家を、そして社会を、よりよく変革していく最直道であることを知ってほしい。
 この意味からも壮年部の皆さん方は、けっしてあせることなく、常識豊かで、平凡にして地道な振る舞いのなかにこそ、一生成仏という人間革命の直道があり、地域、職場、また家庭にあっても、自身の大福運で皆をつつみゆく依正不二の当体であるとの確信を忘れずに、着実に前進していってほしい。
 最後に、壮年部の皆さん方が一人ももれなく体を大切にし、また長生きして、人生を楽しみきっていかれるよう心から念願してやまない。人生を生きて生きて生きぬくことが信仰の本義である。一家の大黒柱でもある壮年部の皆さん方が、万が一にも倒れるようなことがあったら、残された家族にとってこれ以上の悲しみはない。信頼の柱である壮年部員が健在ならば、家族も、地域の人々も心から安心して、人間革命の精進をし、成長もしていけるのである。真実の幸福はもっとも身近にある――との原理からも、壮年部の皆さんは、つねにわが身の健康に留意し、このための生命錬磨の根本法則である五座三座の勤行を凛々しく、明確に励行していくようお願いしたい。
 確実な日々の勤行が励行されているかぎり、いかなる三障四魔といえども幸福への善知識へと転じていけるのである。皆さん方ご一家の健康と無事安穏にして福運興隆の人生を、重ねてお祈り申し上げ、第八回壮年部総会を祝すメッセージとしたい。(要旨)

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