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日蓮大聖人・池田大作

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御聖誕御報恩記念勤行会 「御本尊」と「御書」がわれらの根本

1977.2.16 「広布第二章の指針」第9巻

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1  御聖誕当時の時代状況
 二月十六日の本日は、日蓮大聖人御聖誕の日であります。
 大聖人がお生まれになったのは、承久四年、西暦でいえば1222年であります。当時の時代状況は、国内的にみても、世界的にみましても、大動乱期でありました。
 前年の1212年には、そのころの日本国内をまつ二つに割った承久の変が起こっております。人々は戦乱、戦火に苦しみ、「立正安国論」にご明示のとおり、天変地天、飢餓、疫病、殺敷等々が相次ぎ、民衆は最大の困苦の極みにあったのであります。
 また、世界史のうえからいっても、十三世紀から十五世紀にかけては、大変動期であるといわれる。蒙古族が勃興し、中国、アジアを席捲し、ヨーロッパにまで侵入した時代でありました。都市や城を破壊し、人々を殺戮していった蒙古軍の進撃はすさまじいものがあったことは、よくご存知のとおりであります。
 仏教発祥の地インドでは、大聖人御聖誕のときには、すでに西から攻めてきたイスラム教によって武力征服され、仏教はまったく死滅してしまっていたのであります。
 気候的にも、十三世紀から十五世紀にかけては、ヨーロッパは大寒波に襲われたとの記録が残っています。そして、またこの時代、英仏百年戦争、チムール帝国の制覇、オスマントルコのヨーロッパ侵入、ペストの蔓延、十字軍の失敗と、目をおおうばかりの宗教的堕落によるキリスト教内部の分裂と権威の失墜など、ヨーロッパ社会も激動を続けていきました。一方、十三世紀から新しいヒューマニズムの胎動が起こり、これがルネサンスにつながり、中世の闇を打ち破ることになっていくのであります。
 このような時代に、東洋の日本に、大聖人は御聖誕になられたのであります。
 いままた、大聖人ご在世から七百年の歳月がたちました。国内的にも世界的にも、大きく揺れ動く時代の大転換期にあることは論をまちません。鎌倉時代以上の激動期といってもよいでありましょう。この時にあたって、日蓮大聖人の仏法が、いよいよ太陽のごとき輝きを増して、多くの人々の心の奥に、昇り始めているという事実は、たいへんなことなのであります。「報恩抄」に「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもなが流布るべし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり」との御金言がありますが、これを証明するか、しないかの使命を担っているのが、わが創価学会なのであります。末法万年尽未来際からするならば、七百年という期間は瞬時ともいうべきでありましょう。
 日蓮大聖人の仏法の本格的な夜明けが、皆さま方の力によって、いまやっと、到来したというわけであります。
2  御本仏直結の信行学
 次に、本日の佳き日にちなんで、第二祖日興上人のご遺誠置文の二か条をもとにお話をさせていただきたい。
 ご遺誠置文とは、申すまでもなく、二十六か条からなり、その最後に「此の内一箇条に於ても犯す者は日興が末流に有る可からず」と定められた重要なものなのであります。
 ゆえに戸田前会長も「青年訓」のなかで、次のように述べられております。
 「行学に励み、御書を心肝にそめ、大聖人の仏法に通達して迷いなく、今はいかなる時かを凝視して、大聖人のみ心を心とし、日興上人のご遺誠をわが命として、努むべきである」と――。
 この二十六か条のうちの第一か条は「富士の立義柳も先師の御弘通に違せざる事」でございます。「先師の御弘通のままに……」というこの御文が、二十六か条のまず冒頭におかれていることに、たいへん深い意義があります。それは二十六か条のなかでも第一義の項目であり、全体を貫く内容であるからであります。
 「先師の御弘通」の「先師」とは、御本仏日蓮大聖人のことであります。したがって「日蓮大聖人の御弘通」そのままにということになるのであります。すなわち日蓮大聖人の正真正銘の門下であるならば、日蓮大聖人の振る舞いとその精神を根本にすべきなのであります。それは、途中の人師、論師ではないということなのであります。途中の人師、論師が根本ではないということは、人師、論師の場合には、いろいろな時代背景のもとに、生きのびなければならなかったがゆえに、令法久住を願って、さまざまな知恵をめぐらした場合があるからであります。
 たとえば、戦国時代の動乱期、また江戸時代のような封建制にがんじがらめにされたような時期には、それ相応の生き方があったようであります。
 明治以後から敗戦にいたるまでの、神道根本の国家主義が華やかな時代には、田中智学が唱えた「国立戒壇」というような言葉をしぜんに使うようになったのも、その一例であります。
 この日興上人のおおせの先師とは、日蓮大聖人であります。その先師が、魂魄をとどめられたのが大御本尊であります。また大聖人の一代のご指導は全部「御書」におさめられている。ゆえに「御本尊」そして「御書」を根本に進むのが、創価学会の生き方なのであります。これがもっとも正しい、御本仏に庖結した信行学の定義と思いますが、皆さん、この点いかがでしょうか。(大拍手)
 ゆえに、創価学会の信心には功徳がある、私どもの折伏行には偉大なる福運がある――ということを申し上げておきたいのであります。
3  広宣流布に挺身
 次に「日興遺誠置文」には、これまで私どもがつねに肝に銘じてきた有名な一節があります。それは「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」という厳然たるご指南であります。
 広宣流布ということを忘れたら、もはや、大聖人の仏法ではありません。また、この日興上人の遺誠置文どおり、広宣流布のために戦っている創価学会を軽んじることは、即日興上人のご遺誠を軽んじ、同時に日蓮大聖人のご精神に反するものであります。皆さん、この点いかがでしょうか。(大拍手)
 「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」という一項目は、遺誠置文のなかでも、実践面の根幹をなすものであり、これは日蓮門下として絶対に忘れてはならない一か条であります。この一条を忘れた瞬問から、もはや、形式はどうあれ、その人の胸には、仏法は死滅するのであります。創価学会は今口まで、愚直のごとく、ただひたすら、幾多の難を受けながら、このご遺誠をわが生命に刻んで前進してきたのであります。
 この結果、事実として国内では一千万人を超える人々が、大聖人の仏法の陽光に浴しております。海外においては、八十数か国へ、この仏法がおよび、文化と平和の貢献をなしつつあります。仏法が、このように生きいきと民衆の生活のなかで日々に躍動し、広く深く社会へ、そして全世界へ流布したことは仏教史上、かってなかったのであります。
 この現実と事実の姿にこそ、日蓮正宗創価学会が、いかに大聖人のご遺命どおり、広宣流布のために、偏身に汗を流しつづけてきたか、明白でありましょう。
 日達上人猊下は、かつてこの創価学会に対し、謗言をなす人間が、どのような結末となっていくかを訓諭において、次のように断言しておられる。
 「若し聊爾たりとも、此の清浄無比にして護惜建立の赤誠に燃ゆる一大和合僧団創価学会に対し、実にもあれ不実にもあれ謬見を懐き謗言を恣にする者ありとせば、其籍、宗の内外に在るを問わず、全て是れ、広布の浄業を阻礙する大僻見の人、罪を無間に開く者と謂ふべし」と。
 この意味は、創価学会という一大和合僧団に対し、たとえ、実にもあれ、不実にもあれ、中傷、非難する者があれば、その人が日蓮正宗の内部に籍をおく人であっても、また外部の人間であっても、すべてこれは、広宣流布という清浄な行を妨害する大僻見の人であり、無間地獄へおちていくと明言されたものなのであります。
 広宣流布に挺身していくということは、これほど偉大であり、かつ尊いものであることを銘記していただきたいのであります。
 私どもは「御本尊」と「御書」を第一と確認しあい、大聖人御聖誕の佳き日に、誓いを新たにしたいと思うのでございます。本日は、たいへんありがとうございました。(大拍手)

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