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第26回男子部総会――メッセージ 第二章の学会は諸君の手で

1977.2.11 「広布第二章の指針」第9巻

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1  第二十六回男子部総会、まことにおめでとうございます。
 本日は、恩師戸田城聖先生の誕生日であります。七十七年前のこの日、恩師は、北陸の荒波寄せる石川県塩屋の地でお生まれになりました。やがて、吹雪果てなき、あの北海道厚田村に移られ、伝記と歴史の書を読んで、夢多き少年時代を送られました。
 雪と烈風、鉛色の雲と海、岩に砕ける大波等々、恩師の故郷が、氷雪舞い狂う荒々しい風土であったことは、諸君もよく知っていることでしょう。
  雪ぞ降る 雄猛ぶなかを 丈夫の
  嬉しきことは 友どちの愛
 この和歌は、恩師が第二代会長に就任される前の年の冬、私が戸田先生からいただいた懐かしい和歌であります。恩師は、吹雪に胸はり戦う青年をこよなく愛されました。
 そして「時代は青年によって一切が決定される。時代は老年ではない」ということを熟知され、確信されていた。また、すべてそのとおりの指導と行動をなされておりました。「新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である」と確信されていたからにちがいありません。
 諸君たちの先輩である原田君と野崎君は、ともに次代を担う中枢の青年部長であり、男子部長です。私のもとで薫陶を受け、育っていった丈夫のなかの丈夫といってよい。二人のコンビは絶妙であり、私は絶大な信頼を寄せています。どうか創価学会の一切を後継する諸君は、この青年部長、男子部長を中心として、山をもぬく祈りと、凛々しい実践で、黄金永遠の男子部を築きあげていってください。
2  戸田先生は、あるとき「もっとも偉大な人とは、結論するに、青年時代の信念と情熱を、生涯、失わない人だ」といっておられた。私は、この言葉を耳にするとき、あのビクトル・ユゴー生涯を思い出します。彼が書いた名作「レ・ミゼラブル」は、私も若き日に読みふけったものです。その後、小説「人間革命」を書くにあたっても、この青春時代の思い出の書を、新たな気持ちで読み返したものです。
 この大河小説は、彼が六十歳のときに発表されたのですが、その着想から完成までに三十数年間の歳月がかかったといわれています。ユゴーがちょうど諸君と同じ年ごろの二十代半ばから後半にかけてのとき、彼は作中の主人公ジャン・ヴァルジャンと同じように、たった一切れのパンを盗んだために、なんと五年の刑に処せられた囚人が出獄してきたというニュースを耳にしました。
 青年詩人ユゴーが、はずかしめられた貧しい人への同情と、社会的不正義がもたらす抑圧へ、激しい憤りを感じたのは当然です。彼は、この青年期に出あった一つの事件をもとに、三十年間にわたって構想をあたため続け、ついに人間精神が生んだ偉大な作品を完成させたわけであります。
 青春時代に決意したなにごとかを、己の生涯をかけてやりぬくということは、まことに偉大なことであります。
 彼は「宗教的権威の象徴となった法衣という虚飾のマントを脱ぎ捨てよ」と激しくエセ聖職者を糾弾し、社会悪に対する慈悲の思想が流れるこの作品を「宗教的な本」と自ら定義した。いわばこの書はユゴーの青年期からの決意の深さとともに、彼の民衆のなかへ、社会のなかへと飛び込んでいった実践行動によって生まれた、といってもよいものであります。
3  フランス革命という激動期を悩み、苦しみ生きぬいてきたユゴーは、”事実”というものの重さを、”事実”というものの強さを、深く理解していた詩人であり、作家でありました。若い日から豊かな詩才、文才に恵まれ、その名声を得、母国フランスを愛する青年ユゴーは、国民の文学、民衆の文学の誕生を願い「われわれにはわれわれのシェイクスピアが要るのだ」といっている。そして、シェイクスピアに匹敵する国民文学の可能性を、フランス大革命という歴史的事実に見いだし、次のようにその喜びと決意を叫んでいます。
 「フランス革命はあらゆる社会学説のために巨大な書物を開いてくれた。つまり一種の大遺言書というべきものを開いてくれたのである」
 つづけて、彼は、このフランス革命という”事実の書物”に、多くの有名な革命家、反革命家が、それぞれの言葉を書き込んでいったとし、次のように自身に問いかけます。
 「その書物がここにある。ペンもある。この書物を書きつづける勇気をもっているのは誰だろう?……」
 この問いに対して、ある伝記作家は、次のような答えを出しています。
 「ユゴーは小声でわれとわが身にこう答えるのだった。『おまえだ!』彼は文学的名声のかなたに政治生活を予見していたのである」
 実際、ユゴーは、このとおり、自らも動乱の渦中に飛び込み、民衆の一大叙事詩を書いていった。彼は、民衆を信じ、民衆の姿を浮きぼりにしたかった。それは、たんなる一編のドラマではなく雄大な民衆史ともいうべき民衆史観を打ち立てることであった。
 では、現代の民衆史を書いていくのはだれか。私たちもまた、われとわが身にこう答える。「それは、私たちだ」。
4  先師牧口常三郎初代会長、恩師戸田城聖二代会長によって起こされた創価学会の仏法運動は、いまや事実として、一千万人を超える人々、八十か国を超える国々で、壮大雄渾なドラマとして繰り広げられているのであります。しかも、平和と文化の舞台に展開されるこの限りない庶民のドラマは、たんにいまだけの一編のドラマを演じているのではない。末法万年尽未来際に輝きわたる不滅の一書を、一人ひとりがわが生命に書きつづっているわけであります。
 ユゴーは文学的名声のかなたに政治的生活を予見していたが、私たちは、宗教的使命のかなたに二十一世紀、そして限りなく後に続く生命の世紀への偉大な平和、文化を予見するのであります。
 十八世紀のフランス革命という政治革命は巨大な書物を開いた。いままた二十世紀から二十一世紀へかけて行われているわれらの宗教運動は”静”ではあるが、偉大な無数の民衆の生命の輝きでちりばめられた人類的、いな、宇宙的な歴史的な一書を開いていくと断言できるのであります。
 ともかく、厳然たる”事実”から一切は生まれる。机上の学説から”事実”は生まれない。私たちが繰り広げている宗教革命という”事実”から、後継の人々が、一法を無量義へと開いていくように、平和と文化の壮大な人間ドラマを打ち立てていくにちがいない。これを仏法用語で「広宣流布」というのである。この法理につながる生命の流れこそが新世紀の歩みであり、暁の未来を知らせる希望の太陽なのであります。
5  私が限りなく愛し、信頼する諸君は、軽薄な流行のみに紛動されることなく、確かなる信条とともに人間的魅力を満々とたたえて、日々、青春向上の前進をお願いしたい。
 西郷隆盛を評して「一日かの人に接すれば一日の愛生ず。三日かの人に接すれば三日の愛生ず。善悪を越えて生死を共にするほかなし」といった人物がおります。諸君も、生死をともにする団結をもって、新しい世紀を築いていってください。
 最後に、きょうの恩師生誕の佳き日に、戸田先生の和歌を二首紹介し、諸君の1990年への凛々しい旅立ちを祝福いたします。
  三類の 強敵あれど 師子の子は
    広布の旅に 雄々しくぞ起て
  師子王の 雄叫び聞いて 奮い立つ
    広布の旅の 子等ぞ勇まし
 第二章の学会のすべてを、諸君に託します。万事、よろしく頼みます。

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