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第1回東京教育部勤行会 ”人類への流れ”こそ生命線

1977.2.5 「広布第二章の指針」第9巻

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1  所願満足の人生を
 今世紀の世界的なニュースとねった宇宙飛行の立役者は、フォン・ブラウン博士であった。
 彼は、少年のころから「宇宙飛行は人類最高の冒険であり、一度しかない人生を、この人類の夢である宇宙飛行にかけよう」と決意していたといわれる。
 事実、中学校時代になると、ロケットを自動車につけての実験が失敗して、大事件となったりして、名士であった父親の苦労はたいへんだったようだ。なんとか息子の冒険遊びをやめさせようとしたが、息子のブラウンのほうは一時期過ぎると、また次の新しい研究に入っている。つまり、自分の志すものへの”貫徹精神”を持続して、ロケットに関する世界的な権威としての地歩を固めた、ということになろう。
 ブラウンの回顧談の一つに、こういうのがある。それは、自分が興味をもっていたロケットの開発に成功して満足であったかといえば、けっしてそうではない。宇宙飛行が終わって初めて満足した、というものである。
 このブラウンの心情は、われわれ信仰者の生き方と相通ずるものがある。信仰の途上にある現在は、満足する人もいようし、まだ、これからだという人もいるにちがいない。
 しかし、もっとも大事なことは、人生の最終段階においてどうか、ということだ。途中はどうあれ、永遠の生命の出発になる死の数年前、人生の最終章において、信心しぬいてほんとうによかった、学会員であってほんとうによかった、といえる満足の人生こそ、私は信仰の正しさを証明するものであると思っている。
 こうした意味からも、教育部の皆さん方は、仏道修行を持続していくうえにおいては、いろいろな困難に直面することもあろうが、わが人生の最終章は所願満足まちがいない、との確信をもって生きぬいていただきたい。
 私どもはいま、毎日の新聞やテレビをとおしてブラウン博士の少年時代のごとく、一つの冒険に挑む人たちの姿を見る。
 ある人はヨットで太平洋を横断し、ある人はエベレストの踏破等々――。こうした冒険心をもつこともたしかに必要なことにちがいない。
 しかし、ある新聞でも論じていたことだが、こうした外界への冒険以上に重要なことは、生命の奥への探究――神秘の世界を開くことこそ、人類の普遍的な最重要の登攀であるとの言葉を思いだす。
 したがって、私が申し上げたいことは、教育者として社会的な責任を担っていくうえでは、社会の慣習を守り、かつ絶大な信頼を得ていくことはとうぜんであるが、信心そして広宣流布という世界にあってはまた、生命の世界に向かってあえて自己に挑戦してみるという”冒険”をしていただきたいことである。
 冒険の心なきところには、人間としての理想の夢は回転されないといえる。自らの雄大な変革もない。仏法者として、自分の生命的境涯は大空のごとく開いているかどうか、「御書」という元初の一書の哲理がどれほど深遠なものなのか、等々の重要課題の解明については、力強い冒険精神の持続によって初めて可能となるからである。
2  世界宗教への伸展
 西洋の宗教の起源の一つはユダヤ教にある、といってよい。このエホバを唯一神とする宗教が、なぜキリスト教のように世界的な宗教にまで高められなかったか――この理由については、多くの識者によって論じられているところであるが、そのなかでも共通していわれていることは、ユダヤ教というものが民族主義の色彩が強く、化儀とか戒律等を重んずるゆえに行き詰まってしまったということである。
 これに対してキリスト教は、外道の教えとはいえ、ギリシャ文化を吸収しながら、世界性を追求していった。また、あくまでも病人や貧しい人をはじめとする社会の底辺の民衆のなかに飛び込み、民衆のなかで戦いぬいた。それゆえに、キリスト教は、権力からの迫害の歴史を宿命的に背負ったともいえよう。だが注目すべきことは、キリスト教が迫害を受けるたびに、大きく民衆のなかに広がっていったという歴史的事実である。
 われわれ創価学会の伸展も、迫害と殉教の崇高な歴史とともにあったのであり、また、ここにこそ”宗教の信念”ともいうべき不屈の栄光の精神が脈打っている。
 時代は下り、たしかにキリスト教は、世界的な宗教へと発展したが、中世における教会の勢力の増大が、結果的に教会主義に陥り、民衆を宗教の奴隷へと追いやってしまったことも、多くの識者が鋭く指摘しているところである。
 この歴史の教訓によって私たちは、教会なり伽藍というものは、つねに民衆の側に立つべきであり、教会は神と人間との間に立ちふさがる障壁であってはならないことを学ぶことができる。マルチン・ルターの宗教改革の原点も、まさにここにあったといえよう。
 また、真実の教会と人間のあり方というものは、集まっては、また民衆のなかへ飛び込み、あくまでも民衆のため、社会のために貢献しゆく動的な関係に貫かれていなくてはならない。この”集合離散”ともいうべき方程式こそが、宗教を高揚させ発展させゆく根本の方軌となることを銘記してほしい。
 この歴史の法則のうえからも、人類への流れ、民衆への流れをつくっていくことが、宗教の生命線であることは明らかである。さらに、原点へ、原点へと掘り下げていくことが必要である。この「原点回帰」と「人類、民衆への流れ」の昇華こそ、新しい時代を形成していくと信ずる。
 ゆえにわれわれ仏法者は、どこまでも「御本尊根本」「御書第一」の姿勢を堅持し、民衆のなかに躍動する人間仏法の運動を、確信をもって繰り広げていきたい。
 宗教と人間の原点を一貫して追求しながら、本源からの宗教改革、人間革命の運動を展開しているのが創価学会である。その未聞の運動に連なる全会員が、成仏と真実の満足の人生を歩みきっていけることは間違いなく、自らも福運にあふれ、社会にも大きく貢献しゆく創価の実践を、自信と誇りをもって進んでいってほしい。
 先師牧口初代会長、恩師戸田前会長をはじめ、学会の草創期を築き上げた先輩の多くは、教育部出身者であった。
 したがって、教育部員こそ、第二章の広宣流布、すなわち世界の平和と文化の興隆の先駆の自覚にあふれた、勇気ある仏法の伝道者となるべきであり、一人ひとりが一騎当千の光り輝く主柱へと成長しゆくことを、心から祈っている。(要旨)

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