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日蓮大聖人・池田大作

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第5回中野兄弟会総会 一人の心をつかむは万人に通ずる

1977.2.4 「広布第二章の指針」第9巻

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1  人間だけに限らず、すべての事象に”本物”と”偽物”がある。情報化時代の今日にあってはとくに、流行による誤った先入観に陥りやすいのも事実である。
 そのなによりの証左は、表面の地位や名誉で人間的偉さを決めてしまう風潮にも明らかであろう。こうした傾向が日本人に顕著なのは、ある意味で封建時代の名残りともいってよい。
 新時代を担いゆく諸君は、浅はかな世間の風潮にけっして惑わされてはならない。人間ならびにすべての事象に対する鋭い鑑識眼をもち、展望明晰な指導者に育ってもらいたい。
 社会の厳しい現実に生きぬいていくうえにおいては、その現実の諸現象に即応した柔軟性――英知の振る舞いが当然大切となってくる。善悪の基準も早急に結論づけることは誤りを生ずる場合もある。
 大切なことは現実に即応して、的確に幅広い角度から、また深く掘り下げて物を見る目をもつことである。そのためには、一切を”人間を原点”として対処しゆくことが大事である。
 どうか諸君は洞察力豊かなリーダーであってほしい。それが本物の人生を進む第一歩と銘記されたい。
 仏法者でもある諸君は、真実に自分が、宇宙の根源の法則である「南無妙法蓮華経」の当体であるとの自覚をもっていただきたい。さらに広宣流布に生きぬくという胸中の目的観は不動であるか、どうか。また、名聞名利に流されてはいまいか。同志との信義を絶対に裏ぎらない人生であるか、どうか等々――諾君たちは、人間として、こうした自身に対する鑑識眼をもたくましくしてほしい。そして、いかなる苦難に直面しようとも、また批判されようとも、自分らしく本物の人生を生きぬいていただきたい。
2  かつて私は、映画を見て、たいへん感銘を深くした思い出がある。題名は忘れたが、たしか戦争映画であった。その映画のなかで、大学卒のインテリが戦地に赴き、肌身離さず読んでいたのが、有名なモンテーニュの「随想録」だった。
 ご存知のようにモンテーニュは、思想的には懐疑論を唱え、実践的には中庸と寛容と幸福主義を指導原理とした。しかし、もっとも忠実に懐疑したものは「死」という問題であったにもかかわらず、自分の生涯をかけても結論を導き出せなかった。
 読書は知識を深め知恵を啓発してくれる。そこでもっとも大切なことは、自分に肉化し、一生涯の宝となる本をどのように選び持つかということである。映画に登場したインテリは、モンテーニュの一書を”受持”して読んでいたわけである。
 これに対して諸君の生涯の一書は、生死の二法を克明に説き明かした「御書」という元初の聖典である。「御本尊」と「御書」を根本にして生きる人生に勝るものは、この世にはない。自分はもとより、先祖も、子孫も福運満足の境涯に入っていけるのである。
 この一点からしても、われわれがいかに恵まれた存在であるか明瞭であろう。
 しかして、大勢の同志のため、また社会に貢献しゆくために活躍する諸君の日常は、けっして、環境がどうあれ自分に一切関係ない、といった生き方であってはならない。そうした自己を乗り越え、もう一歩深い次元で、御本尊と境智冥合しゆく不動の人生基盤を築きあげていただきたい。
3  イギリスの有名な作家であるシェイクスピアは、父の事業の失敗で十三歳の時から家計を助け、結局、小学校の学歴しかなかった。にもかかわらず、あのような保守的な国において、権威と伝統を重んずる風潮のなかで、有識者をしのぐ数々の名文学作品を残したことは諸君もよく知っていることであろう。
 私は、このシェイクスピアの生き方と関係して、ある学者が「ほんとうの芸術・文学とはその人が持っている特性である」といった言葉を思い出すのである。
 われわれは、この肉団のなかに、無量の知恵を生み、人生の福運を発現させゆく”田園”をもっている。それは、御本尊との冥合によってのみ、限りなく湧現していくものである。
 この妙法の法則にがっちりと歩調を合わせ、最高の人生を築いていくため確固たる人生観を確立していく――これ自体が、すでに、最高の生命の芸術、文学であり、平和運動であると、鋭くとらえていかなくてはならないことを申し上げておきたい。
 広宣流布といっても結局は、文化であり、平和であり、生活であり、社会そのものを築くことである。この観点からも、宗教のための宗教ということはありえない。真実の宗教はどこまでも人間のために存在するということを訴えておきたい。
 最近、私の友人から、ある有名な作曲家が語った話を聞いた。歌の心をつかむためにほんとうに苦労した歌手の歌は、いつまでも人々の胸中にとどめられていくという話である。
 私はこれを通して、苦労こそ最大の財産であることを、あらためて確認しておきたいのである。苦労して一流になった人物と、たんに有名ということで一流と思われている人とは根本的に異なる。苦労した人でなければ、苦労した人の心は理解できない。
 地道でも、一人ないし二人の心を深く知り、理解と信頼を得ていくことは、百万人の心をつかんだことにも通ずるのである。一人ひとりの心と心を通わせ、そこに自分の誠意を打ち込み、生命と生命の交流を積み上げていくーここに、日蓮大聖人の仏法の極理があることを知っていただきたい。
 御書に「一色一香中道に非ざること無し」とあるが、これは、依正はことごとく妙法の当体であるということである。その意味で、どうか中野兄弟会の世界が、お互いに尊敬しあい、信頼しあうもっとも深い生命の絆で結ばれた仏法兄弟のモデルとなっていくよう、心より念じ、また期待している。(要旨)

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