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日蓮大聖人・池田大作

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第1回社会部勤行会 正信とは最高の良識行動

1977.2.2 「広布第二章の指針」第9巻

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1  第一に自らの体を大切に、そして健康に最大限の配慮をはかっていってほしい。
 家庭をつつがなく守りぬいていくためにも、職場において自らの力量をぞんぶんに発揮していくためにも、まず自在の活躍をしていくための基礎となる身体を、強靱に鍛えぬき、生命力を満々とたたえていくことが肝要である。
 そこにこそ”人間それ自体”を一切の原点にすえ、仏法の極理、真髄を昇華させゆく、もっとも基本的なあり方がある。
 法華経方便品には「是の法は法位に住して、世間の相常住なり」とある。これは「信心即生活」「仏法即社会」の原理を示したものである。
 内面に脈打つ清冽な信仰の奔流を、社会という現象次元にいかに発現させていくかが、仏教という人間宗教の本来の使命であり、目的でもある。
 そのためにも「賢きを人と云いはかなきを畜といふ」との御文どおり、偏狭を排しつつ、油断を戒め合いたがら、あくまでも賢明にして自在闊達の人生道を悠々と歩みぬいていってほしい。
 ゆえに、信仰しているからなんとかなるにちがいないと考えるのは、慢心であり、正信こそ、最高の良識であることを銘記されたい。
2  御書にもあるとおり、民の幸せを顧みず、暴逆の限りを尽くし、宗教を民衆支配の道具として利用した殷の糾王は、やがて”正義こそ神”と主張して立ち上がった周の武王に滅ぼされたといわれる。
 宗教を私腹のために利用するといったような指導者は、かならずや自滅への道をたどるのである。また、宗教者においても、民衆の幸福を犠牲にする宗教、すなわち”宗教のための宗教”をつかさどるようであっては断じてならない。
3  後漢時代には「清談」という風潮が起こった。これは、一般には”政治不信”がもたらしたもので、俗事から遠ざかって山林に隠遁し、酒琴にふけって、ただ空理の談合のみに終始したといわれる。しかし、これが発端となって魏晋六朝時代に竹林の七賢等が出て、時代を蘇生しゆく文化運動の流れが生まれたといえよう。
 こうした時代傾向は、現代にも一脈相通ずるところがあると思われる。この現代の混沌を極める世相を転換、蘇生させてゆくためにも”人間のための宗教”を基盤とした――大文化運動の興隆が望まれるのである。仏法を基調として平和と文化を推進する創価学会の社会的存在意義を鮮明にしたのも、そこにある。
4  いわゆる日蓮仏教と称する各宗派の発生と、その歴史を概括すると、その流れは①教条主義的狂信②権威主義的堕落③企業的体質④犠牲による玉砕等々の形態に分類できる。
 これらはみな、大聖人本来の人間仏法のあり方から根本的にはずれた結果である。それは、江戸時代の不受不施派、明治時代の田中智学、昭和初期の井上日召、戦後に入っては日蓮系のあまたの新興宗教等に明らかな体質である。現代でも、狂信や金もうけの系譜をたどる団体もある。
 こうしたなかにあって、創価学会が、今日の不壊安定の盤石なる基盤を築いてこられたのも、有史以来はじめて御本仏日蓮大聖人のご精神そのままに、人間主畿の実践と正信の信仰を貫いてきたからにほかならない。そこに宇宙生命の仏界に感応したゆえんである。それはまた、仏法の全体に貫かれた真髄を深く信じ、正確に把握し、時代社会に応用、展開しつつ行動してきたとうぜんの帰結でもある。
5  仏法流布においては「時」と「教」が重要である。
 「時」を知り「時」に応じて、現在に、未来へと人間仏法の極理を普遍させているのが、わが創価学会の運動であり、既成宗教の誤れる偏狭で慢心の行為は、この「時」をわきまえず、法のもとに人間を独善的に従属させたところにある。
 また「教」に関しては「経・釈・論」の順序からいっても、「経」――すなわち日蓮大聖人、即御本尊が一切の根本であり、これを忘れて「釈・論」を根本とする生き方にこそ、人間を狂わせる本因があることを知るべきである。
 どこまでも御本尊第一に進む学会は、日蓮大聖人のおおせどおり、永遠に仏法即社会の原理を体現し、もっとも大切な人間生命の変革、ならびに職場、生活を大切にする行動であり、運動でなくてはならない。
6  社会における表面的な事象というものは、有為転変の無常の相をまぬかれえない。
 ゆえに、われわれに課せられた任務は、まず妙法という常住の法を根底にして、広布推進の盤石なる”土台””基盤”を構築していくところにある。そのためにも社会部メンバーの一人ひとりにあっては、なによりも”広布城”を支えゆく堅固な”クイ”としての使命を全うしていってほしい。
 御書には「此の国の亡びん事疑いなかるべけれども且く禁をなして国をたすけ給へと日蓮がひかうればこそ今までは安穏にありつれ」とある。
 これを今日に拝すれば、総体的には、日蓮大聖人のご精神に直結した創価学会があればこそ、社会は安泰であるということである。ともに、各自においては”自分がいればこそ、職場、家庭を安穏、盤石に守りきってみせる”との気概で、周囲には一切心配をかけず、リズム正しい福徳豊かな人生の大道を誇らかに進んでいってほしい。(要旨)

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