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第200回六月度本部幹部会 希望と勇気与う”妙法の勇将”に

1976.6.20 「広布第二章の指針」第8巻

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1  きょうは、これまで永年のあいだ、繰り返し申し上げてきたことでもありますが、指導者として、幹部としていろいろ心得ていくべき点を、総括、要約し、お話をさせていただきます。
 指導者の心構え、また幹部の心得として、六か条をまとめておきました。
 その第一は「確信ある信心」、第二は「明快なる指導一、第三は「礼儀ある態度」、第四は「明朗な対話」、第五は「常識ある生活」、第六は「覚悟の法戦」――この六か条を再確認して、これからもまた、二百五十回、三百回の本部幹部会を目標に、ますます自己をみがき、朗らかに、楽しく、スクラムを組んで進んでいっていただきたい。
2  第一の「確信ある信心」についてでありますが、御書にはこのように説かれております。「四条金吾殿女房御返事」のなかに「大将軍よはければ・したがうものも・かひなし、弓よはければ絃ゆるし・風ゆるければ波ちゐさきは自然の道理なり」とあります。
 指導者は人間として正義に強くなくてはならない。ゆえに広宣流布の指導者、幹部というものは、信仰の確信に満ちみちていなければならない。そうでなければ新時代の民衆のリーダーにはなれないし、広宣流布の伸展もありえない。当然の道理であります。
 これは信仰以外の世界においても、同じ原理であります。
 幹部には満々たる確信の信心が、いよいよ要請されます。そうでなければ、会員がかわいそうです。安心してついていけません。指導者に民衆を愛する心なく成長がなければ、人々は心からついてこないし、また後輩の成長もありえない。
 幹部が無責任であって、指導すべきことをしないでいれば、多くの人々は法戦の意義を見失ってしまうし、信心の確信もなくなり、寂しいものです。信心からわきいずる生命力と知恵をもって、皆に希望と勇気を与え、喜ばせてあげることが大切です。それが仏の慈悲の作業に通じるのです。とにかく人々を、喜びの人生へと奮い立たせてあげることです。
 弓が弱ければ、弦は当然ゆるく矢が飛びません。また、風が弱ければ波も小さい。これは自然の道理です。仏法は、あくまでも道理を説いているのです。指導者の一念、幹部の確信によって、いかようにも悩める人々に偉大な希望を与えることができるものです。
 先日、東京・板橋のある総ブロックに福島副会長が行ったそうです。毎年一回訪問を続けてきたそうですが、そこの総ブロックは、総ブロック長の一念の強い発露によって非常に弘教が進み、いちだんと明るく喜び勇んで組織の構築をやっているということでした。要は、担当する幹部のたくましい信心の一念によって決まるということは、いずこでも同じことです。
 責任をけっして他人に転嫁するのではなく、自分自身の確信に満ちみちた信心をつちかう以外に、一切の解決、発展はないことを銘記されたい。
 なお、同じような意味で、御書には「いくさには大将軍を魂とす大将軍をくしぬれば歩兵つわもの臆病なり」という御文があります。軍には大将軍を魂とする、すなわち根本とするということです。いわゆる指導者が臆病であったならば、人々はすべて、臆病になってしまう――。この御文をよくよく銘記していただきたいと思います。
3  なお、二番目の「明快なる指導」については「上野殿御返事」に、このような御文があります。
 「人のものををしふると申すは車のおもけれども油をぬりてまわり・ふねを水にうかべてきやすきやうにをしへ候なり
 人々を指導する方式というものは、車輪の回転が重ければ、そこに油を注いであげよう、また重い船であっても水の上に乗せていけばいくらでも運んでいける、というようにしていくものであるということです。人を苦しませていく指導ではなくして「抜苦与楽」と経文にあるとおり、楽しみを与え、苦しみを抜いてあげることです。”ああこんなに信心は楽しいものか””組織活動はこんなにやりがいのあるものなのか””信心即生活ということが御書の指導でよくわかった”というふうに、できるかぎり、悩める会員が”なるほど”と、安堵して信心即生活、広宣流布の方向に向かえるようにしてあげることが、真実の指導であります。
 問題を複雑にさせてはならない。信心がいやになってしまうような指導ではいけません。「明快なる指導」でわかりやすく話をし、人を安心させ、喜ばせて、身も心も軽やかにさせていく、その方式の指導を忘れてはならない、ということであります。
4  三番目の「礼儀ある態度」については「上野殿御消息」にこのようにあります。大聖人は一往、儒教の文を引かれておりますけれども、再往は妙法という原理のうえから、これを拝すればよいと思います。
 「にあふて礼あれとは友達の一日に十度・二十度来れる人なりとも千里・二千里・来れる人の如く思ふて礼儀いささかをろかに思うべからず
 友だちに会って、礼をふむということは、その友だちが、一日に十度二十度と指導をうけにくるような人であったとしても、千里二千里もの遠くから来てくれる人と思って、礼儀をいささかもおろそかにしないで、その人と接していくことである、との御文であります。
 後輩が、何度も何度も指導をうけにくることがあります。そのときにめんどうだとか、または侮蔑の心をもって接するということは、真実の指導者のとるべき態度ではありません。
 たとえば、なにかの都合で会合に遅れてきた人がいたとします。そういう人を千里も、二千里も遠くから来た人を迎えるような気持ちで”よくいらっしゃいました”と、抱きかかえるように励ましてあげる、そういう指導者でなければならない、という大聖人の厳しい戒めであります。
5  なお、四番目の「明朗な対話」については「木絵二像開眼之事」に、このように説かれております。
 「人の声を出すに二つあり、一には自身は存ぜざれども人をたぶらかさむがために声をいだす是は随他意の声、自身の思を声にあらはす事ありさればこころが声とあらはるこころは心法・声は色法・心より色をあらはす、又声を聞いて心を知る色法が心法を顕すなり
 この意味は、人が声を出す場合に二つの種類があるということです。じつは随他意。わが心を正直にあらわすのではなく、真意を隠そう、ごまかしていこ一つこのような対話の態度をいいます。もう一つは、随自意です。すなわち自分のありのままの心、ありのままの悩み、人間性というものを、そのまま声として出していくことです。
 その心は、心法であり、声は色法となります。心より色をあらわしていく。したがって随自意の声は指導を聞いている人が”ああ、幹部であっても、このように悩みがある。ほんとうにわれわれと同じだ”と安心し、信頼する。そういう態度が真実の「明朗な対話」なのであります。上下の差別なく、平等の対話を心がけ、苦楽をともにして人間の道を歩み、人間共和の真実の仏法の世界をつくっていく。これが「明朗な対話」の原理であります。
6  五番目の「常識ある生活」については「減劫御書」のなかに「……世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり」とあります。
 真実の仏法者は智者であり、知恵あるものでなくてはならない。したがって世間の治世、社会の万般の法則をよくよく心得て、信心即生活をすることが真の仏法者であり、それが「智者とは申すなり」との御文証なのです。
 仏法の世界は、世間とは別である、という考えは間違いです。社会のなかに仏法を行ずる、社会の外に仏法はない、と理解して行動する人が、真実の智者であります。すなわち、仏法者であるからといって世間を度外視することは誤りであり、常識豊かな社会人として行動をせよ、ということです。ともかく仏法の世界は、社会規範をふまえた信仰であり、社会のなかに信頼の花を咲かせていく信仰でなければならない。
 ですから、真夜中に人の迷惑になるような大声で勤行したり、また仕事中に折伏をしたり、信仰の本義をはき違えて、隣近所や親類等と断絶してしまったりするようなことは大きな誤りです。真の智者というものは、世間のなかに仏法を行じていくのであります。”仏法即社会”です。
 仏法のための仏法という狭い考えに陥って、世間のことはなにも知らないというのでは、仏法即社会とはなりません。反対に仏法を破壊する世間の悪を見破れないようでは、愚者といわざるをえません。
7  最後の第六は「覚悟の法戦」です。これについては、大聖人が御書の各所で申されておりますが、とくに「寂日房御書」のなかには、次のような有名な御文があります。
 「かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり、法華経の行者といはれぬる事はや不祥なりまぬかれがたき身なり
 「かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて」――御本尊を受持し、広布に邁進する人々は、日蓮大聖人の仏法と宿縁が深いということであります。今世の人生は当然のこととして、生々世々、妙法とともに、広宣流布のために生きぬいていく、こういう覚悟をもって、大聖人と同じく「法華経を弘むべきなり」というおおせであります。
 「法華経の行者といはれぬる事はや不祥なり。まぬかれがたき身なり」と、覚悟しきって、いかなる醜い批判、中傷をされようとも、この世の人生を大聖人とともに、御本尊とともに生きぬいて、広宣流布に進んでいきなさいということです、その道を歩んでいるのが、目蓮正宗創価学会なのであります。この御本仏の精神を拝して戦いぬいてきたのが、初代会長牧口先生であり、前会長の戸田先生であります。ここに創価学会の歴史と伝統があるのです。したがって、その福運、名誉は、末法万年尽未来際まで続いていくことは絶対間違いないでありましょう。
 それを決意して、どうかまた本年の下半期も、みんな仲良くスクラムを組んで、立派な指導者として、さっそうと広布の指揮をとっていただきたいことをお願い申し上げます。(大拍手)

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