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戸田前会長19回忌法要 ”核心”を鋭く洞察して生きよ

1976.4.2 「広布第二章の指針」第8巻

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1  本日、四月二日、関西同志の真心によって建設されました戸田記念講堂におきまして、このように盛大かつ厳粛に恩師戸田城聖先生の追善法要ができましたことに対し、遺弟を代表しまして、参加された皆さま方に衷心より感謝申し上げるものでございます。ありがとうございました。
 とくに、ご導師をいただきました阿部教学部長殿には、参加者一同を代表いたしまして厚く御礼申し上げるものでございます。また、戸田先生が総本山で何かと、ご縁のありました理境坊の落合慈仁尊師をはじめ御尊師の先生方に、厚く厚く御礼申し上げるものでございます。
 さらに、きょうのこの法要には、ますますお元気であられる戸田先生のご遺族、牧口先生のご遺族の方々も、おみえくださいました。衷心より御礼申し上げます。なお、きょうは、牧口門下生、戸田門下生も、多数参加してくださり、心から感謝しております。
 ”光陰矢のごとし”と申しますが、恩師が亡くなられてまたたくまに十八年間の歳月が流れました。この間、じつにいろいろなことがありました。あたかも織りなすアラベスクのごとき感をおぼえるのでございますが、ここでは思いつくままに、私の想い出の一端を述べさせていただきます。
 ご存知のとおり、戸田先生は数ある兄弟のなかで十一番目にお生まれであります。おそらく、現在では想像もつかないようなたいへんな立場ではなかったかと思うのであります。こうなると、生まれたその日から”苦労”の二字を一身に背負わされていたと申しても過言ではないと思われるのであります。
 こういうのを宿命というのかもしれない。はたせるかな、戸田先生の人生は”波乱万丈”の一語に尽きております。しかし、その障壁をつきぬけて光り輝く広宣流布の金字塔を打ち建てられたということは、これこそ、まことに尊い”人類の鑑”であったと、私は思うのであります。「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへさせ給へ」との御金言がありますが、戸田先生は、ご幼少のときから、そういう人生の展開を味わっておいでであったように思うのであります。じつに不思議なことであります。
 それでいて、妙法の広布と、令法久住をつねに心がけられ、そのためには、ご自分に対しても、まわりに対しても、ほんとうに厳しいご態度を貫かれ、それは、想い起こすたびに、襟を正さざるをえないものでありました。こうした、いろいろな角度から恩師を拝しますと、大聖人ご在世の弟子檀那のうちでは、四条金吾殿にいちばんよく似ておいでであったように、私は感じてならないのでございます。
 先生は、なにかといえばよく”ホシ”ということを強調しておいででありました。
 ”ホシ”というのは、スターという意味ではありません。あらゆる問題について、なにが”焦点””急所”であるか、また、なにが”肝心かなめ”か、なにが”核心”であるか、どこをどうずれば値打ちが出てくるか、その”勘どころ”をしっかり押えろ、ということであります。「広・略・要」のうち”要”をきちんと握りしめよ、というご意見であったかと思うのであります。
 口はばったいようでありますが、戦後の学会の再建の初期において、不肖私を事実上の総責任者として、この関西、大阪に派遣なさったのも、そういう”ホシ”の手の打ち方であったと、私は信じております。
 たとえば、大阪といえば、人の流れ、物資の流れ、文化の伝わり方等々、歴史的にそれを見極めていくならば、北は福井あたりから東は名古屋周辺、西と南は中国、四国、さらには九州あたりまでも包含していく、それを手中におさめる肝心かなめの要地が大阪であると、そのように感じて、私をこの懐かしい大阪へ派遣なさったと思うのでございます。
2  「広・略・要」と教学のあり方
 戸田先生のよくいわれた”ホシをつかめ”という指導に関連して、仏法の「広・略・要」の”要”について少し申し上げておきたい。
 それは教学の勉強のあり方にも関するからであります。また、われわれ、皆さん方が大勢の人を指導する場合にも、決め手になるからでございます。さる「教学の年」以来みんなで決意も新たに、営々と教学の大きい展開をしてまいりましたが、それが、肝心の”要”を忘れて”広”にばかり目を奪われてしまいますと、”過ぎたるは及ばざるが如し”というように、難しいことから難しいことへと、点々とわたり歩いて、いきつくところがなくなってしまう。くねくねと長道中を繰り広げるようなものであります。本人は、それで満足するかもしれませんが、それを聞かされる一般の人々は、かえってわけがわからなくなってしまう傾向を、私は心配するのでございます。
 極言かもしれませんが、難しいことを難しくいうのは、まだまだ至っていない、ということに通ずるわけでございます。わからないから難しくなってしまう場合が多い。
 戸田先生のように、じつに難しいことを易しく、わかりやすい表現でスパッと話して聞かせることこそが、真の”達人”の境地ではないかと、私は思うのでございます。
 御書を拝しましても、深淵な論文もあれば、易しい御消息文もございます。だが、おおせの内容は少しも違っておりません。その緩急のお手並みはまことに鮮やかそのものでございます。みなさん方の、これからの講義も指導も、いま、私が申し上げんとすることをよくわきまえてください。そして、自信をもってください。
 たくさんある問題を要約して、どこを打ち込めばよいのか、どう対処するかという焦点を忘れてはならないという意味でございます。そうしてみれば・私どもはもう一度、わが言動のあり方を反省してみて、もういちだんと成長して、大聖人のおめがねにかなうよう、そして、戸田先生の全に対する機微に思いをいたし、さらにさらに人間成長への努力を尽くしていきたいと思うしだいでございます。
 きょうは、関西の地で、戸田先生を偲んでの初めての法要にあたり、心のままに最近の私の所感を述べさせていただきました。皆さま方のご多幸を心よりお祈り申し上げ、また、最後に、全国各地で、恩師の法要を営んでくださった同志に、衷心より御礼と感謝を申し上げまして、私のあいさつとさせていただきます。

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