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創価女子高校第1回卒業式 生涯の友として美しき信義を

1976.3.13 「広布第二章の指針」第8巻

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1  本校第一回の栄えある卒業式、まことにおめでとうございます。私も本校に関係が深い一人として、ほんとうに喜びにたえません。心からお祝い申し上げるしだいであります。また、ご父兄の皆さま方、その愛するところの娘さんが本日見事に成長して、この学舎から巣立っていかれます。ほんとうにおめでとうございます。
 また、牧野校長先生をはじめとする教職員の皆さま方には、多年心を込めて訓育にあたってくださった労に対し、心から尊敬申し上げ、かつ感謝を申し上げるしだいであります。ほんとうにありがとうございました。また、ご多繁のなか、ご来校くださったご来賓の先生方、そして本校のために土地を提供してくださった地元の関係者の方々に厚く御礼申し上げます。ほんとうにありがとうございました。
 今回は、本校といたしましては、第一回の卒業式であります。何事もそうでありましょうが、「最初」というものは、その世界にとっては格別の意義をもつものであり、たいへんに記念となるものでございます。本校の教育機能は、本日のこの卒業式を経験することをもって、はじめて首尾一貫したわけであります。これによって、創価女子学園の歴史、あるいは伝統というものの第一の基盤ができあがったといえるのでございます。願わくは、この基盤をふまえて、これからますます力強き伝統、光り輝く校風を建設され「わが国の教育界に本校あり」と、万人から認められるほど発展、繁栄されていかれますことを心から祈ってやみません。
 以上申し上げた点につきましては、卒業していく皆さん方も、とくと心に刻んで忘れることなく、どうか生涯かけて本校を愛し、陰に陽にこの母校を応援してください。お願い申し上げます。
 また、皆さんは、成長期の貴重な三年間をこの学園で努力してこられました。しかしながら、その努力はけっして自分一人だけでしたのではありません。つらいときには励まし合い、楽しいときには手を取って喜び合い、大勢のクラスメートが、そうした友愛の連帯のなかで努力を成功に結びつけつつ、成長してきたのでありましょう。すなわち、得がたい友だちであったわけであります。
 人生においては人間性、人格、そうしたものがなによりも大事だということ、それを観念ではなく互いのふれ合い、体験をとおして身をもって会得できたことは、これはほんとうにすばらしいことであると思うのでございます。そういう尊き学友同士であります。
 ひとつ、理屈ぬきで、生涯の友としての美しき信義を貫き通していただきたいと思うのでございます。信ずるということ、信頼するということ――これこそが人間にとってのおおいなる力である。私はこれを卒業のはなむけとして、皆さんにお贈りするものであります。
 これからは進学する人もあれば、就職する人もいる。進学したからといっても四年先には就職しなければならない。就職したからといっても、自分自身の学問をやめる筋合いのものでもない。すなわち、就職する人も、あくまで社会にあっても勉強すべきであるし、また、進学した人も、かならず就職しなければならない。結局、人生の大綱においては、違っていないということを知らなくてはなりません。
 あるいは仮定の話として、一年や二年、浪人生活を余儀なくされる人があったとしても、それでどうということはありません。”災いを転じて福となす”ということもあるのです。結局は、男性は男性なりに、女性は女性なりに、その大筋を踏み違えることなく努力していきさえすれば、いつの日か福運もつき、幸せになっていくことは間違いないわけであります。ひとつ、皆さんがそういうつもりで、新しい人生へ明るく、そしてあせらず、勇気をもって前進していってください。
 卒業生の皆さんは、自発的に「螢会」を結成されました。また第一回の卒業生のご父兄の皆さま方の真心で、本校のいちばん中心の地に「螢乃池」をご寄贈賜わりました。ここに厚く厚く御礼申し上げますとともに、「螢会」の卒業生の皆さんは、毎年一回はかならずこの「螢乃池」に集って、さまざまなことを語り合っていただければ、これ以上の喜びはないと存ずるものであります。
 ともあれ、学生生活だけに限っていいますと、世間の通念のひとつにこういうことがあります。それは優等生は優れたものであり、その他はたいしたことはない、という考え方であります。私はこういう考え方は、あまりにも短絡的で、大きな過ちをはらんでいると思えてならないのであります。どんな高校であれ、大学であれ、いわゆる優等生といわれる人は、ほんの数人、一握りの数でしょう。また、そのようにされているようである。それはそれで、それなりに立派なものであるということは否定はできませんが、だからといってその他はたいしたことはないという考え方は、私は間違いであると思う。
 わが国全体をみてみましょう。いろいろな欠点や事件はあったにせよ、敗戦からわずか三十年で、とにかくこれだけの国、これだけの社会になりました。ということは、いわゆる優等生だけの力で、ここまできたのではけっしてないのであります。みんながそれぞれ優れていたからこそ、こういうふうになったのではないでしょうか。
 人は、それぞれもって生まれた得手、不得手があります。要は、苦手な部分に負けることなく、得意な部分をぞんぶんに伸ばしていくこと――それが大切なことであると思うのです。そういう人こそ真に優れた人である、いわゆる、立派な社会の、実社会の優等生であると思うのであります。学校ばかりではありません。いま申し上げた原則というものは、実社会のなかでも、すべて同様であると、私は考えております。どうか皆さんは、そういうつもりで、今後の自らの道をけっして卑屈にならず、自分らしく雄々しく開拓していってください。
 これからの長い人生においては、健康が大事であります。どうか、自分の体力の程度を見合わせて、それぞれにしっかり健康を保ちながら、けっして悲観者にならず、明るく生活していってください。”身体も健康に、そして心も健康に”と、私は心からそのように願うものであります。そして、全魂こめた拍手をもって、第一回の卒業生の皆さんを、この会場から送り出したいと思うものであります。
 どうか在校生の皆さん方も、きょう旅立っていくこの良き先輩方を、絶大なる拍手をもってお送りしてください。以上をもって私の所感とさせていただきます。

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