Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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「四条金吾殿御返事」(衆生所遊楽御書)…  

1975.12.9 「広布第二章の指針」第7巻

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1  御書は末法の経文であり、何回も拝読して、自身の信行を深めていくことが大事である。この御書で日蓮大聖人は、幸福というものの根本を、簡潔に明かされている。つまり「一切衆生」(全人類)が絶対的幸福を確立する道は「南無妙法蓮華経」と唱える以外にないとのご断言なのである。これは、絶対的普遍の原理であるがゆえに、一切衆生が唱えるようになれば、戦争もなくなる。それを受け入れないところに不幸がある。
  
 「自受法楽」とは、自分自身の胸中の仏界を湧現させていくことである。これに対して外界から幸せを感ずるのが、一般の相対的な幸福である。とくに「一切衆生」とあるゆえに、一人ももれなく、この絶対的幸福を会得することができるのである。
  
 ともかく、どんなことがあっても”御本尊をはなさない決心”、”題目を唱えぬいていく姿勢”が大事だ。日々、現実生活に深く根を張り、あらゆる苦悩のなかで純粋な信行学に励む学会活動が、結果的には社会貢献の最高善に通じているのである。
  
 古今東西の歴史をみても、聖人、賢人といわれた人は、かならずといってよいほど、ねたみや批判を受けている。しかし、迫害に負けてはならない。「一人の必死な戦いは、万人の大軍をも破る」との言もある。大聖人の竜の口法難における四条金吾の殉教の姿もこれにあたる。これが学会精神でもある。その意味で広宣流布に進みゆく私どもに、同志がたくさんいるからといって、けっして安易な油断があってはならない。
  
 「座して瞑想にふける人よりも、立てる農夫は尊し」という言葉もある。名声を博した人が、どれほど社会のため、人々のために尽くしているだろうか。ともかく、学会員は広宣流布のために、その本源的な次元から救済し貢献しているという強い自負心だけは忘れないでいただきたい。
  
 大聖人は「いよいよ」の大信力をおこして、だれもが「心は王者であれ」と仰せである。そのためにも、常識豊かに自らの足元をしっかりと見つめ、固めながら、朗らかに希望に燃えた信仰の日々を送っていこう。いつも品格をもち、福々しい人生で、社会の人々に愛され、信頼される人であってほしい。(要旨)

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