Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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「自らの命に生きよ」をとおして  

1975.12.7 「広布第二章の指針」第7巻

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1  「自らの命に生きよ」とは平易な言葉だが、じつは人生のもっとも重要な道を明かしている。最高幹部は、責任を絶対に他人に転嫁してはならない。一切は、自分の一念で決まると自覚するならば、事の善悪を透視でき、慈愛がわいてくる。
  
 学会精神の骨髄は、御本尊、学会への報恩感謝に尽きる。自らが広布の一切を担い、会員を守りきってほしい。
  
 道理をわきまえた一流の人間への人間革命である。進歩、青春、建設のない人生は惰性の人生だ。指導者は、あらゆる事象を自らを建設、革命する飛躍の機会と受けとめなくてはならない。
  
 組織の責任者として、苦悩は当然あろう。しかし、正しき者ほど責任あるゆえに悩みが多く、愚人、悪人は無責任のゆえに悩みが少ないものだ。日蓮大聖人も「一切衆生の同一苦は悉く是日蓮一人の苦」と仰せのとおり、苦悩は、仏の境涯に通ずるもっとも崇高な悩みと確信し、進んでほしい。
2  信心の原点は、日々の勤行にある。勤行は、もっとも偉大にしてたゆみない太陽のごとく、姿勢を正し、毅然として行ってほしい。「信心即行躰、行躰即信心」との言のごとく、真実の信仰は、この勤行と学会活動しかない。これにより私どもは、出世間と世間の両者を融合し、環境に流されるのではなく、リードしていくのである。
  
 法華経従地涌出品に、釈尊の化導に対し菩薩が「疲れませんか」と問いかける場面が出てくる。これに対して、釈迦は化導する衆生が本已有善の衆生で、調機調養してきたゆえに「少病少悩」で疲れずにすむと答えられている。
 日蓮大聖人、また私どもの立場は、末法、本未有善の衆生を化導していく厳しい広布の道である。そこに激闘がともなうのは当然だが、それに向かい進むところにこそ地涌の菩薩の本領がある。ゆえに、あらゆる障害をのり越え、生きて生きて生きぬいていく姿それ自体が、折伏、仏の振る舞いに通じていく。その源泉が勤行なのである。(要旨)

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