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日蓮大聖人・池田大作

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牧口初代会長第32回忌法要 仏法史に輝く法難の栄誉

1975.11.17 「広布第二章の指針」第7巻

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1  ひとこと、初代会長牧口常三郎先生のご遺徳をしのび、ごあいさつ申し上げます。本日は、法務ご多繁のなか早瀬総監殿のご導師を賜り、心から感謝申し上げます。ありがとうございました。また、ご尊師方にもご唱和をいただき心から御礼申し上げます。ありがとうございました。(大拍手)
 牧口先生が広宣流布途上、軍部政権の暴虐のもと、獄中より霊山に還られて、三十二年目を迎えました。先生亡きあと、最愛の弟子・戸田城聖先生のお力によって、先生が心中に熱願せられた学会の発迹顕本はなされ、妙法の太陽はいま、末法濁悪の闇を破って、ここに燦然と輝きわたったのであります。
 不肖私は、恩師戸田先生のあとを承継し、慈折広布の命を守って十有五年、ここに、はるかに広宣流布の山脈が見えはじめました。
 末法の初め、大法出現の様を一日に譬えるならば、御本仏日蓮大聖人の悟達、法体の建立は、闇のもっとも深き子丑の刻のことといえましょう。そして牧口先生のご出現は、夜明け前のもっとも厳しき時刻であり、戸田先生によって地平線に旭日を見、そしていま、世の人々がめざめ、活動を開始する午前八時を迎えたと思うのであります。
 この輝かしき朝の今日あるは、黎明のあったゆえであり、黎明はまた夜明け前の昏闇ありしゆえであり、さかのぼっては、一切衆生の仏性がもっとも深き元品の無明の眠りに閉ざされていた子丑の刻における、御本仏日蓮大聖人の熾烈な戦いあればこそであります。
 創価学会は、末法大白法広宣流布のために出現した地涌の菩薩の集団であります。その本地をたずねれば、法性の淵底、玄宗の極地といわれる妙法の大地の底であり、そこに住せしわれらは、総じては無作三身の妙覚の如来であることは、仏法の哲理に照らして明瞭なのであります。
 しかしながら、われらが根源の父たる御本仏日蓮大聖人の大慈大悲も知らず、七百年の眠りに沈んでおった私どもを、久遠の本心に立ち戻らさせてくださったのが、牧口常三郎先生でありました。御本尊は当然のことながら、その指導者として、牧口常三郎先生だったのであります。
 昭和五年十一月十八日、この日は、奇しくもそれから十四年後、先生が霊山へお還りになった因縁の日となりました。昭和五年のこの日から、満四十五年、わが創価学会は七百七十五万世帯、世界八十二か国四十万余の同胞が、先生の遺志を継いで、御本仏日蓮大聖人のご遺命達成に勇躍するまでになりました。
 「世尊、我等亦自ら誓願すらく、異の国土に於いて、広く此の経を説かん」と勧持品に説くごとく、アジアの人々はもとより、ヨーロッパ、アメリカ、アフリカ等々、あらゆる国の、あらゆる人種、民族にわたる、たくましき地涌の戦士の集団となったのであります。皆、牧口先生のかわいい弟子であり、妹であり、子であり、孫たちであります。そればかりではありません。いま、こうしているあいだにも、日本の国内で、また世界の各地で、先生の眷属は、一人また一人と増えていっていることでありましょう。
 そして、この創価学会の歴史の起点は牧口先生であります。すなわち、御本仏日蓮大聖人の精神を現代に蘇生させ、その生活のなかでの実践化の端緒を開き、現代の学問・思想上からの位置づけを試みられた人こそ、私どもの初代会長牧口常三郎先生でありました。恩師戸田先生よりうかがった牧口先生のお人柄は、弱き人に対してはどこまでも優しく、無限の慈愛でつつみ、強者の邪悪に対しては、一歩も退かず正義をつらぬき、自らを律すること秋霜のごとくであられました。
 邪悪への不撓の闘志は、あの狂乱の軍部権力を向こうにまわしての、仏法史上に輝く法難の栄誉をもたらしました。人々に対する慈愛は、学会再建の原動力となり、いまなお健在で広布に活躍する牧口門下生の胸中に脈々と生きつづけております。自らに対しては厳しく、老いてますます向学、求道心を燃やして、勉学、読書に、著述に打ち込まれた牧口先生の生涯は、私どもすべてにとって、模範であり、めざすべき理想像であります。
 生涯をつらぬいて学び、行動を続けられた崇高な姿に胸を打たれない人はおりません。晩年、高齢をおして青年よりも元気はつらつと町々の家々を訪ねては、折伏弘教の先頭に立っておられました。停留所で電車を待つあいだも、書をひろげ赤鉛筆をもって勉強をされていました。座談会には早く着かれ、最初の人がくるまで時間があるときは深く思索せられ、その精髄を紙にサラサラと書きつけられていたとうかがっております。そのうち、一人の方がくると、まずその方と真剣に優しく対話を始められ、厳粛ななかにも明るい楽しい座談会が行われていきました。
 獄中にあっても、御書をボロボロになるまでに読破され、大聖人の哲理を学び、不動の信念で戦いつづけられました。牧口先生がご家庭にあてられた昭和十九年十月の葉書が絶筆となっておりますけれども、そのなかには「カントノ哲学ヲ精読シテイル」とあります。まさに生涯求道の姿勢には、襟を正さずにはいられません。
 先生は、生前よく「本に読まれるな。本をよんだら思索せよ。読後の思索があってはじめて自分のものになる」と、よくいわれていたようでありますが、先生が生命を削るようにして思索され、実践された思想は、いついつまでも生きつづけ、歳月の経過とともにいよいよと花開いていくことは、その後の歴史的事実が示しているとおりであります。
 また、宗門外護という理念の基盤を打ち立てられたのも、牧口先生でありました。昭和十一年以来、今日の夏季講習会ともいうべき夏季修養会を開き、また国家権力による統制と弾圧から日蓮正宗をも守りぬかれたのであります。その宗門外護の理念は、戸田前会長に受け継がれ、さらに今日の日蓮正宗の輝かしき興隆の道を開くことができたのであります。
 常不軽菩薩品に「法華経を持たん者を、若し悪口、罵詈、誹謗すること有らば、大いなる罪報を獲んこと、前に説く所の如し云云」とございます。牧口先生のご一生もまた、忍従の一生であられました。ともあれ、先生の生き方、その深い見識は、私ども全学会にとって、人間革命の指標であります。広宣流布の第二章の舞台に立ついま、学会員一人ひとりの人間的向上が仏法展開の鍵となっているとき、牧ロ先生が身をもって示されたお姿は、私どもにとって、いよいよ重みを増していると申し上げておきたいのであります。
 最後に、私ども不肖の弟子でありますが、祈りと異体同心の団結の力で、牧口先生、戸田先生の志を継ぎ、僧俗一体の流れのもとに、広宣流布、平和と文化の理想世界実現をめざし、さらに勇往邁進し、かならずや達成する決意であります。(大拍手)
 どうか、私どもの前途を照覧、擁護くださいますよう申し上げ、あわせて、ご家族、ご親族と有縁の方々に、心から感謝申し上げるとともに、ますますのご繁栄を心からお祈り申し、私のごあいさつとさせていただきます。(大拍手)

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